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奈良井
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ならい
ふりがな文庫
“
奈良井
(
ならい
)” の例文
御通行後の二日目は、和宮様の御一行も福島、
藪原
(
やぶはら
)
を過ぎ、
鳥居峠
(
とりいとうげ
)
を越え、
奈良井
(
ならい
)
宿お小休み、
贄川宿
(
にえがわじゅく
)
御昼食の日取りである。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
洗馬から
本山
(
もとやま
)
へ出、本山から
新川
(
にいがわ
)
奈良井
(
ならい
)
へ出て、奈良井から
藪原
(
やぶはら
)
へ参りまするには、此の間に
鳥居峠
(
とりいとうげ
)
がございます。
敵討札所の霊験
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
木曾街道
(
きそかいどう
)
、
奈良井
(
ならい
)
の駅は、中央線起点、
飯田町
(
いいだまち
)
より一五八
哩
(
マイル
)
二、海抜三二〇〇尺、と言い出すより、
膝栗毛
(
ひざくりげ
)
を思う方が手っ取り早く行旅の情を催させる。
眉かくしの霊
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
木曾の
藪原
(
やぶはら
)
や
奈良井
(
ならい
)
は
櫛
(
くし
)
の産地として名が聞えます。「
於六櫛
(
おろくぐし
)
」といい、もとは
吾妻
(
あつま
)
村が本場だったといいます。於六という女が作り始めた
梳櫛
(
すきぐし
)
であります。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
そしてここで
埋伏
(
まいふく
)
の味方、苗木久兵衛父子の兵と合し、
奈良井
(
ならい
)
附近ですこしばかり敵の抵抗もあったが、小合戦で終り、敵の
遺棄
(
いき
)
死体四十余名を葬ったに過ぎなかった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
そのときは夢中でしたが、それが
奈良井
(
ならい
)
の駅であるということを後に知りました。ここらで降りる人はほとんどなかったようでしたが、それでも青年団が出ていて、いろいろの世話をやいていました。
指輪一つ
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
奈良井
(
ならい
)
、
宮
(
みや
)
の
越
(
こし
)
、
上松
(
あげまつ
)
、
三留野
(
みどの
)
、都合五か宿の木曾谷の庄屋問屋はいずれも
白洲
(
しらす
)
へ呼び出され、吟味のかどがあるということで退役を申し付けられ
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「お泊まりなすっておいでなさい。
奈良井
(
ならい
)
のお
宿
(
やど
)
はこちらでございます。
浪花講
(
なにわこう
)
の
御定宿
(
おじょうやど
)
はこちらでございます。」
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
それには松本から、
洗馬
(
せば
)
、
奈良井
(
ならい
)
を経て、鳥居峠の南方に
隧道
(
トンネル
)
を
穿
(
うが
)
つの方針で、
藪原
(
やぶはら
)
の裏側にあたる
山麓
(
さんろく
)
のところで鉄道線は隧道より現われることになる。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
木曾十一宿はおおよそ三つに分けられて、
馬籠
(
まごめ
)
、
妻籠
(
つまご
)
、
三留野
(
みどの
)
、
野尻
(
のじり
)
を
下
(
しも
)
四宿といい、
須原
(
すはら
)
、
上松
(
あげまつ
)
、
福島
(
ふくしま
)
を
中
(
なか
)
三宿といい、
宮
(
みや
)
の
越
(
こし
)
、
藪原
(
やぶはら
)
、
奈良井
(
ならい
)
、
贄川
(
にえがわ
)
を
上
(
かみ
)
四宿という。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
木曾地方への物資の販路を求めて西は馬籠から東は
奈良井
(
ならい
)
辺の奥筋まで入り込むことはおろか、
生糸
(
きいと
)
売り込みなぞのためには百里の道をも遠しとしない商人がそこに住む。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“奈良井(奈良井宿)”の解説
奈良井宿(ならいじゅく)は、中山道34番目の宿場(→中山道六十九次)。現在の長野県塩尻市奈良井に位置する。
(出典:Wikipedia)
奈
常用漢字
小4
部首:⼤
8画
良
常用漢字
小4
部首:⾉
7画
井
常用漢字
小4
部首:⼆
4画
“奈良井”で始まる語句
奈良井遊廓
奈良井屋
奈良井川
奈良井宿詰