太甚はなはだ)” の例文
長崎は淫風の極めて太甚はなはだしき地なり。襄の彼地に在るや屡々しば/\遊里に誘はれたりき。今日と雖も娼閣の壁上往々其旧題を見るといへり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
しかも其の因縁いんえん糾纏錯雑きゅうてんさくざつして、果報の惨苦悲酸なる、而して其の影響の、あるい刻毒こくどくなる、或は杳渺ようびょうたる、奇もまた太甚はなはだしというべし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
何とも了解わからぬやうな太甚はなはだしい田舎訛ゐなかなまりで、互に何事をか声高く語り合ふので、他の学生等はいづれも腹を抱へて笑はぬものは無い。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
彼は一昨年をととしの冬英吉利イギリスより帰朝するや否や、八方に手分てわけして嫁を求めけれども、器量のぞみ太甚はなはだしければ、二十余件の縁談皆意にかなはで、今日が日までもなほその事に齷齪あくさくしてまざるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
それを突然に、郎等だにあらば打殺してましものをと言ふのは、余りに従兄弟同士として貴人の前に口外するには太甚はなはだしいことである。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
然りと雖も彼が酒を嗜む太甚はなはだしきに至りし所以のもの実に其父を喪ひたる無限の憂愁を散ぜんとするに由る。果して然らば彼の志亦あはれむべき也。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
「殊に、かれは自然の発展の最も多かるべきはずにして、しかも歴史習慣を太甚はなはだしく重んずる山中の村——この故郷を離るゝ事が出来ぬ運命を有して居た」
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
新信条を以て旧信条にふべしとふは可なり。之を増減刪加さんかすべしと曰ふは可なり。之を置くの可否を論ずるに至りては事理を解せざるの太甚はなはだしき者也。
信仰個条なかるべからず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
八箇国を一月ばかりに切従へられて、七こくの芥子を一七日に焚いたなぞは、帯紐のゆるみ加減も随分太甚はなはだしい。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
これが又一層不便ふびんを増すの料となつて、孫や孫やと、その祖父祖母の寵愛はます/\太甚はなはだしく、四歳よつ五歳いつゝ六歳むつは、夢のやうにたなごころの中に過ぎて、段々その性質があらはれて来た。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
愈々いよいよまどいて決せざりしに、勅使信を促すこと急なりければ、信ついに怒って曰く、何ぞ太甚はなはだしきやと。すなわち意を決して燕邸にいたる。造ること三たびすれども、燕王疑いて而して辞し、入ることを得ず。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)