のろひ)” の例文
「私、多分、そんなのろひなんぞ、何んにも存じませんでせう。でも若しさうなつても、私、そんなことを氣に留めはいたしません。」
金澤町のとある路地の奧、二た間の長屋に膝小僧を抱いて逼塞ひつぱくしてゐる四十年輩の浪人者は、よく來た——とばかりに、惡罵とのろひの嵐を浴びせるのです。
白帆しらほあちこち、處々ところ/″\煙突えんとつけむりたなびけり、ふりさければくももなきに、かたはらには大樹たいじゆ蒼空あをぞらおほひてものぐらく、のろひくぎもあるべきみきなり。おなじだい向顱卷むかうはちまきしたる子守女こもりをんな三人さんにんあり。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
何かのろひを呟く妖婆えうばのやうにも見えた。
「ところで、此間二階の戸袋に射込まれたといふ、白羽のを見せて下さい、出來ることなら、のろひの藁人形も」
死んでまでもたゝるお才といふ女が、お仙に取つては、手のつけやうのないのろひだつたのでせう。
わけても若葉わかば樣は、母上樣の潔白のため一日一刻も早く、そののろひの願文を書いた惡戯者を搜し出し、父上樣の御怒りもなだめて上げたいと、葬式の仕度もせぬおむづかりやうぢや。
(『玉の輿ののろひ』参照)以來、平次の腕に心から推服してゐる三つ股の源吉、このお小夜殺しをすつかり持て餘してしまつて、五日目には平次のところへ助け舟を求めに來たのでした。
物凄いのろひ叱咜しつたを浴びて、あやめは暴風の前の草花のやうに大地に崩折れました。
朝井玄龍の一家にふりかゝるのろひは容易ではありません。
文吉ののろひは果てしもありません。