叡感えいかん)” の例文
寛永三年九月六日主上しゅじょう二条の御城へ行幸遊ばされ、妙解院殿へかの名香を御所望有之、すなわちこれを献ぜらる、主上叡感えいかん有りて
叡感えいかんのあまり薬師三尊を鋳造されたと伝えられているのである。皇后は後の持統じとう天皇である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
 勅使は此家にかぢと申女る由此所へいだしませいと云るゝに彌々いよ/\仰天ぎやうてんしながら何事やらんと漸々やう/\連出しかば 勅使は其方は冥加みやうがかなひし者かな汝が詠歌えいか殿下でんかへ相聞え其上 當吟たうこんの 叡覽えいらんそなへられし所名歌めいかなりとて仙歌へ御くはへ遊ばされなほ又 叡感えいかんの餘り 御宸筆しんひつ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
主上叡感えいかん有りて「たぐひありとたれかはいはむすゑにほふ秋より後のしら菊の花」と申す古歌の心にて、白菊と名附なづけさせたもうよし承り候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その後天平てんぴょう御代みよとなって、聖武しょうむ天皇が眼病をわずらたもうた折、光明こうみょう皇后がこの寺に御平癒へいゆを祈念されたところ、幸にして恢復かいふくされ、叡感えいかんのあまりその香薬師如来にょらいを胎内仏として
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)