双璧そうへき)” の例文
春慶塗しゅんけいぬりのことについては秋田の産物を語る時に既に記しましたが、日本ではこの高山のと、前に記した能代のしろのものとが双璧そうへきであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
病躯は重い鎧にも耐えぬほど弱々しかったが、官兵衛孝高とともに、秀吉の双璧そうへきといわれ、智略ちりゃくふくろと恃まれていた彼でもあった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
貞固は好丈夫こうじょうふ威貌いぼうがあった。東堂もまた風丰ふうぼう人に優れて、しかも温容したしむべきものがあった。そこで世の人は津軽家の留守居は双璧そうへきだと称したそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
バッハの器楽曲の双璧そうへきであるが、そのうちのすぐれたレコードは、「第一ソナタ=ト短調」のメニューイン(ビクターJD一二四七—八)を挙ぐべきであろうか。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
両親が早く亡くなったので、五歳になる弟のかく、幼な名を双璧そうへきというのを養うことになったが、生れつき友愛の情に厚いので、自分の子供のようにして世話をした。
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
漱石先生のと相まって実に文壇能書の双璧そうへきであると共に、両先生の書道の奇縁というべきである。因みに『二葉亭全集』の表紙の背文字は三山居士の直筆であります。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
無論、五百名の門人の多くは諸侯の家士であったが、図書のもとで子飼から育った者の中に、松林甲子雄まつばやしきねお、仁木兵馬という二人は、門中の双璧そうへきといわれ、男ぶりも腕前も群を抜いた秀才同志だった。
初午試合討ち (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
二条派の尭孝と相対して、一時の双璧そうへきと見られたが、二条派の末輩は敵方の総帥として過大に敵視し、永享十一年に撰ばれた勅撰和歌集第二十一代の『新続古今集』には一首も歌が採られなかった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
大岡越前守忠相ただすけが、南町奉行として、伊勢山田から栄転してきて、ここに江戸の治安陣を双璧そうへきすることとなった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹洞宗そうとうしゅうの大本山総持寺そうじじのあった能登の国と、この加賀の国とを合せ、今は石川県を成します。加賀第一の名物は「九谷焼くたにやき」であります。伊万里焼いまりやきと相並んで日本の磁器の双璧そうへきであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ハイフェッツの双璧そうへき的レコードであろう。
孔明の下に、関羽、張飛、趙子龍の三傑があるところへ、今度は副軍師龐統を加え、参謀府に龍鳳りゅうほう双璧そうへきが並び、その人的陣容は、まったくここに成ったという形です。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千寿王の参陣は、よろこばしい。新田、足利、両源氏の双璧そうへきが揃うことだ。名分も一ばい大きく聞え、足利有縁うえんの武士など、こぞッて寄って来るだろう。かたがた高氏の一男を
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、竹中半兵衛も病苦を忘れて激務げきむを克服していた。奇なるかなこの帷幕いばくは。——と誰かがつぶやいた。秀吉の双璧そうへきとたのむ謀将勇将のふたりが二人とも、満足な体でなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)