トップ
>
八瀬
>
やせ
ふりがな文庫
“
八瀬
(
やせ
)” の例文
わざと往き来の淋しい
崎嶇
(
きく
)
たる
岨道
(
そばみち
)
を、
八瀬
(
やせ
)
の方へ辿って行った千手丸の後姿が、夜な/\彼の夢の中で、小さく/\遠くへ消えた。
二人の稚児
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
羅生門
(
らしょうもん
)
と云う芝居を見ると、頭に花を戴いた
大原女
(
おはらめ
)
が、わたしは一条大宮から
八瀬
(
やせ
)
へ帰るものでござりますると云う処があったが、遠い昔
田舎がえり
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
ふたりはこれから、
比叡山
(
ひえいざん
)
をこえ、
八瀬
(
やせ
)
から
鞍馬
(
くらま
)
をさして、
峰
(
みね
)
づたいにいそぐのらしい。いうまでもなく
果心居士
(
かしんこじ
)
のすまいをたずねるためだ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
現在瀬戸内海の沿岸地方に石風呂の存在は多く、それは古い歴史をもつものらしいようである。又、京都郊外の
八瀬
(
やせ
)
にはカマ風呂というものが明治まで在ったそうだ。
人生三つの愉しみ
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
八瀬
(
やせ
)
大原
(
おおはら
)
の奥まで、まっしぐらに、或いはふらりふらりと侵入して行くもののようであります。
大菩薩峠:41 椰子林の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
次第に水源を尋ねて
八瀬
(
やせ
)
・大原の奥のような、わずかな
山懐
(
やまふところ
)
をもわが小野と満足し、それでまだ足らぬときは嶺を横ぎり、
近江
(
おうみ
)
に下って住むようになって、後ついに全国の野や原に
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
一里を
隔
(
へだ
)
てても、そこと
指
(
さ
)
す
指
(
ゆび
)
の先に、引っ着いて見えるほどの
藁葺
(
わらぶき
)
は、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、
棚引
(
たなび
)
く
霞
(
かすみ
)
は
長
(
とこ
)
しえに
八瀬
(
やせ
)
の山里を封じて
長閑
(
のどか
)
である。
虞美人草
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
更衣
(
ころもがへ
)
八瀬
(
やせ
)
の里人ゆかしさよ
俳人蕪村
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
「——そうですね、降るかと思いましたら、霧が散って、
八瀬
(
やせ
)
の
聚落
(
むら
)
や、白川あたりの
麓
(
ふもと
)
が見えてきました」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「へえ、へえ、たあんと生えてます。先月は
八瀬
(
やせ
)
の方まで摘みに
行
(
い
)
て、
蕗
(
ふき
)
のとうを仰山採って帰りました」
蓼喰う虫
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
更衣
八瀬
(
やせ
)
の里人ゆかしさよ
俳人蕪村
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
丹羽
(
にわ
)
、丸毛、
不破
(
ふわ
)
などの兵で埋まり、唐崎の
附城
(
つけじろ
)
には、
織田大隅守
(
おだおおすみのかみ
)
——そして叡山の裏——京都に向っている方の麓口には、足利
義昭
(
よしあき
)
、その他、在京の兵が
八瀬
(
やせ
)
、小原をめぐって
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
八瀬
(
やせ
)
へ降りては追いこまれる。めッたに大きな声も出すなよ
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
八瀬
(
やせ
)
の
遊女
(
うかれめ
)
か、それとも京の
白拍子
(
しらびょうし
)
か」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“八瀬”の解説
八瀬(やつせ、やっせ)は、宮城県気仙沼市の地名。
漁村のイメージが強い宮城県気仙沼市の中の里山地域。
県内最古の木造校舎月立小学校や、神楽、鹿踊など古き良き伝統が受け継がれている。
近年では八瀬そば、八瀬コーヒー等、地域の豊富な資源を活かした取り組みも行われている。
(出典:Wikipedia)
八
常用漢字
小1
部首:⼋
2画
瀬
常用漢字
中学
部首:⽔
19画
“八瀬”で始まる語句
八瀬大原
八瀬人
八瀬女
八瀬尾
八瀬牛