トップ
>
ひらをか
ふりがな文庫
“ひらをか”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:
ヒラヲカ
語句
割合
平岡
66.7%
枚岡
33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
平岡
(逆引き)
けれども、それを
確
(
たしか
)
める
為
(
ため
)
に、
平岡
(
ひらをか
)
の
後
(
あと
)
を追ふ気にはなれなかつた。彼は平岡に
面
(
めん
)
するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になつた。
それから
(新字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
何
(
なん
)
でも
市川猿之助
(
いちかはゑんのすけ
)
と
平岡
(
ひらをか
)
權
(
ごん
)
八
郎
(
らう
)
が
洋行歸
(
やうかうがへ
)
りに
上海
(
シヤンハイ
)
で
麻雀牌
(
マアジヤンパイ
)
を
買
(
か
)
ひうろ
覺
(
おぼ
)
えにその
技法
(
ぎはう
)
を
傳
(
つた
)
へたのださうだが、
集
(
あつま
)
るものは
外
(
ほか
)
に
松山
(
まつやま
)
省
(
しやう
)
三、
佐佐木茂索
(
ささきもさく
)
、
廣津和郎
(
ひろつかずを
)
、
片岡鐵兵
(
かたをかてつへい
)
、
松井潤子
(
まつゐじゆんこ
)
、
後
(
のち
)
に
林茂光
(
りんもくわう
)
麻雀を語る
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
代助は
此前
(
このまへ
)
平岡の訪問を受けてから、
心待
(
こゝろまち
)
に、
後
(
あと
)
から三千代の
来
(
く
)
るのを
待
(
ま
)
つてゐた。けれども、
平岡
(
ひらをか
)
の
言葉
(
ことば
)
は
遂
(
つい
)
に事実として
現
(
あらは
)
れて
来
(
こ
)
なかつた。
それから
(新字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
平岡
(
ひらをか
)
は
不在
(
ふざい
)
であつた。それを
聞
(
き
)
いた時、代助は
話
(
はな
)
してゐ
易
(
やす
)
い様な、又
話
(
はな
)
してゐ
悪
(
にく
)
い様な変な気がした。けれども三千代の方は
常
(
つね
)
の通り落ち
付
(
つ
)
いてゐた。
それから
(新字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
ひらをか(平岡)の例文をもっと
(2作品)
見る
枚岡
(逆引き)
枚岡
(
ひらをか
)
の
斎
(
いつ
)
き姫にあがる
宿世
(
すくせ
)
を持つて生まれた者ゆゑ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ、はゝはゝゝ。
死者の書:――初稿版――
(新字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
順道
(
じゆんたう
)
なれば、今頃は既に、藤原の氏神河内の
枚岡
(
ひらをか
)
の
御神
(
おんかみ
)
か、春日の
御社
(
みやしろ
)
に仕へてゐるはずである。
死者の書:――初稿版――
(新字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
南家で持つて居た藤原の
氏
(
うぢ
)
の
上
(
かみ
)
職が、兄の家から弟仲麻呂の方へ移らうとしてゐる。来年か、再来年の
枚岡
(
ひらをか
)
祭りに、参向する氏人の長者は、自然紫微内相のほか人がなくなつて居る。
死者の書:――初稿版――
(新字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
ひらをか(枚岡)の例文をもっと
(1作品)
見る
検索の候補
ひらおか
ヒラヲカ