“かどう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:カドウ
語句割合
渦動38.5%
家僮15.4%
稼堂7.7%
伽洞7.7%
家童7.7%
家道7.7%
歌道7.7%
稼働7.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
加うるに椿岳の生涯は江戸の末李より明治の初期に渡って新旧文化の渦動かどうに触れている故、その一代記は最もアイロニカルな時代の文化史的及び社会的側面を語っておる。
有王ありおう(俊寛の昔の家僮かどう
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
その日まねかれた賓客は当時の列侯中博学を以て推重すいちょうせられた冠山松平定常かんざんまつだいらさだつね土岐とき八十郎、幕府の奥儒者成島東岳なるしまとうがくの養子稼堂かどう、主人述斎の六男林復斎
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
幕府の奥儒者成島東岳なるしまとうがくとその養子稼堂かどうとに就いて学んだことは『枕山同人集』所載の作に見えている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこから小艇に乗換えて插橋川そうきょうせんを遡行し、九万浦きゅうまんほ付近で上陸した洋夷の一隊は、自ら俄羅斯オロス国(ロシア)軍隊と揚言しつつ、忠清道徳川とくせん伽洞かどうにある大院君の父王、南延君球なんえんくんきゅうの陵に向った。
撥陵遠征隊 (新字新仮名) / 服部之総(著)
かれは限りなき喜悦よろこびの色を其穏かな顔に呈して、頻りに自分の顔を見て居たが、不図ふとかたはらに立つて居る其家の家童かどうらしい十四五の少年を呼び近づけて、それに
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
親のに至りて家道かどうにわかおとろえ、婦人は当地の慣習とて、ある紳士の外妾となりしに、その紳士は太く短こう世を渡らんと心掛くる強盗の兇漢きょうかんなりしかば
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
ずそのころ私達わたくしたちけた教育しつけにつきて申上もうしあげてみましょうか——時代じだい時代じだいゆえ、教育しつけはもういたって簡単かんたんなもので、学問がくもん読書よみかき習字てならいまた歌道かどうとおり、すべて家庭かていおさめました。
何しろそれら異様な細民群の稼働かどうが、波止場や桟橋や沖の船にまで雲の如くウヨウヨ充ちていた頃が、貿易港横浜としてはその最盛期であったといえよう。