除目じもく)” の例文
次に春曙抄本は、「ころは」に続けて、正月一日、七日、八日、十五日、除目じもく、三月三日、四月の祭りなどの年中行事や自然を描写している。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
左大臣も源氏もあわてて退出して来たので、除目じもくの夜であったが、このさわりで官吏の任免は決まらずに終わった形である。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
恒例臨時の節会せちえを除けば、外は時々の除目じもくまたは御料所の年貢のうながし、神社仏閣の昇格の裁許くらいのものである。
父が或秋の除目じもく常陸ひたちかみに任ぜられた時には、むすめはいつか二十になっていた。女はこん度は母と共に京に居残って、父だけが任国に下ることになった。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「——この手で、まだまだ、勝手気ままに、清盛入道は、叙位じょい除目じもくわたくしするじゃろう。おそれ多いが、おかみも、あるやなしの振舞、いわんや、吾々輩われわれはいをや」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
除目じもくにもれた腹立ちまぎれや、義理に迫っての死や、恋のかなわぬ絶望からの死、数えてみれば際限がない。まして徳川時代には相対死などいうて、一時に二人ずつ死ぬことさえあった。
身投げ救助業 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その間に北のかたも御迎えになりましたし、年々の除目じもくには御官位も御進みになりましたが、そう云う事は世上の人も、よく存じている事でございますから、ここにはとり立てて申し上げません。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その年の秋の除目じもくに正道は丹後の国守にせられた。これは遙授ようじゅの官で、任国には自分で往かずに、じようをおいて治めさせるのである。しかし国守は最初のまつりごととして、丹後一国で人の売り買いを禁じた。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
碩学せきがくの人たちが選ばれて答案の審査にあたったのであるが、及第は三人しかなかったのである。そして若君は秋の除目じもくの時に侍従に任ぜられた。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)
夫がその秋の除目じもくに信濃の守に任ぜられると、女は自ら夫と一しょにその任国に下ることになった。勿論、女の年とった父母は京に残るようにと懇願した。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
叙位じょい除目じもくのことまで、清盛父子のためにこう自由にされては、やがて、自分たちの官位もいつ剥奪はくだつされて
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殿様は除目じもくにお携わりになったあとで、来月の初めには必ずおいでになりましょうと、昨日の使いも申しておりました。
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ながいこと大夫たいふの位より昇進しなかった道綱が、ようやく右馬助うまのすけに叙せられたのは、その翌年の除目じもくの折だった。殿からも珍らしくお喜びの御文を下さったりした。
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
二月の朔日ついたち直物なおしものといって、一月の除目じもくの時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫はごん大納言になり、右大将を兼任することになった。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
源氏もこの宮のお心持ちを知っていて、ごもっともであると感じていた。一方では家司けいしとして源氏に属している官吏も除目じもくの結果を見れば不幸であった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
秋の除目じもくに源氏を太政大臣に任じようとあそばして、内諾を得るためにお話をあそばした時に、帝は源氏を天子にしたいかねての思召しをはじめておらしになった。
源氏物語:19 薄雲 (新字新仮名) / 紫式部(著)
宮中の賭弓のりゆみ、内宴などが終わるとおひまになって、一月の除目じもくなどという普通人の夢中になって奔走してまわることには何のかかわりもお持ちにならないのであるから
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
春期の官吏の除目じもくの際にも、この宮付きになっている人たちは当然得ねばならぬ官も得られず、宮に付与されてある権利で推薦あそばされた人々の位階の陞叙しょうじょもそのままに捨て置かれて
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)