道灌山どうかんやま)” の例文
「あ、ちょっと待った八。それからもう一つ、あの日道灌山どうかんやまへ、大徳屋徳兵衛は夏羽織なつばおりを着て来なかったか、それを訊いて来てくれ」
お宅は下根岸しもねぎしもズッと末の方でく閑静な処、屋敷の周囲まわりひくい生垣になって居まして、其の外は田甫たんぼ、其のむこう道灌山どうかんやまが見える。
かくてじゅうぶんに満腹するほどとってしまうと、ふたたび主従は道灌山どうかんやま裏の恒藤権右衛門宅に向かって、駕籠かごを走らせました。
いつか道灌山どうかんやまへ夏目先生と二人で散歩に行った時、そこの崖の上で下の平野を写生していた素人絵かきがあった。
中村彝氏の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
田端たばただの、道灌山どうかんやまだの、染井そめいの墓地だの、巣鴨すがもの監獄だの、護国寺ごこくじだの、——三四郎は新井あらい薬師やくしまでも行った。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私はまえに実さんやはじめさんなどと、鶯谷うぐいすだにから上野の山を抜けて道灌山どうかんやままで遊びに行ったことがある。かえりには日暮里にっぽりから三河島を通って帰ってきた。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
目黒の茶屋に俳句会を催して栗飯の腹をする楽、道灌山どうかんやまに武蔵野の広きを眺めて崖端がけはなの茶店に柿をかじる楽。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
また少しく小高こだかい処は直ちに峨々がゝたる山岳の如く、愛宕山あたごやま道灌山どうかんやま待乳山まつちやまなぞと呼ばれてゐる。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
移っていった先は道灌山どうかんやまの近くにあった、後ろは上野からの丘陵の起伏が延びているし、前は草原と田と雑木林がうちわたして、晴れた日には筑波や日光の山々が鮮やかに見える。
野分 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
真近い道灌山どうかんやまの聴音隊からも、ただいま敵機の爆音が入ったとしらせてきた。敵機は折からの闇夜を利用しいつの間にか防空監視哨の警戒線を突破し、秩父ちちぶ山脈を越えて侵入してきたものらしい。
空襲下の日本 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「不動様で思い出したが、今日は道灌山どうかんやまに東海坊が火伏せのぎょうをする日ですよ。大変な評判だ、行ってみませんか」
当時の名所というのがまず第一に道灌山どうかんやま、つづいては上野山内、それから少しあだっぽいところになると花魁おいらん月見として今も語りぐさになっている吉原よしわら
また少しく小高こだかい処は直ちに峨々ががたる山岳の如く、愛宕山あたごやま道灌山どうかんやま待乳山まつちやまなぞと呼ばれている。
道灌山どうかんやまの下に「植茂」という植木屋があり、その隠居所におまさという召使がいます、これは雇人でなにも知らない人間ですから、まだそこにいるとしてもお構いなしにはからって下さいまし。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
大「うん、手前は之を持って、かねての通り道灌山どうかんやまくのだ」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
与次郎が、ここを抜けて道灌山どうかんやまへ出ようと言い出した。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それは谷中といっても道灌山どうかんやまに近く、寺というよりは無住の庵室で、木立の中に置き忘れたまま、近所の百姓が物置に使っているような荒れ果てた建物でした。
上野から道灌山どうかんやま飛鳥山あすかやまへかけての高地の側面は崖のうちで最も偉大なものであろう。神田川を限るお茶の水の絶壁は元より小赤壁しょうせきへきの名がある位で、崖の最も絵画的なる実例とすべきものである。
それゆえにこそ、花のたよりも上野、品川、道灌山どうかんやまからとうに八百八町を訪れつくして、夜桜探りの行きか帰りか、浮かれ歩く人の姿が魔像のような影をひきながら、町は今が人出の盛りでした。
こんどの家は道灌山どうかんやまの下で、大きな植木屋の隠居所であった。それは、佐吉が捜したもので、おしのは京橋の呉服屋の娘、病後の保養にといって借り、佐吉は店のかよい番頭ということにしてあった。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
きたる七日正午、首を洗って道灌山どうかんやまにきたりわれらのちゅうりくをまつべし。もしおくれてきたらざるにおいては、大腰ぬけのウジ虫太郎と改名、江戸三千里の外に退散すべきものなり。
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
されど文化以降それらの綿密なる浮絵は全く衰微し北斎の新山水起るや、北寿もまた従来の浮絵をておのが好む方向に進まんとせり。今その特徴を説明せんがため道灌山どうかんやまの一図を引きて例とせんか。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
明六日夜、五つ下がりに道灌山どうかんやま裏の森まで参集されよ。——卍