親房ちかふさ)” の例文
すわとばかりに正行まさつら正朝まさとも親房ちかふさの面々きっ御輿みこしまもって賊軍をにらんだ、その目は血走り憤怒ふんぬ歯噛はがみ、毛髪ことごとく逆立さかだって見える。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
もしか親房ちかふさ卿から今の北畠男爵になる迄の歴とした系図でも出たら、法隆寺の老人も煙草入たばこいれのやうな口をけて喜んだに相違ないが、惜しい事をしたものだ。
彼は父の親房ちかふさにはかって、地方政所まんどころノ執事、評定所所員、侍所の面々、寺社、安堵あんど奉行までを加えて、国司の議場で大評議をひらいた。そしてその場ですぐ宣言した。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秋安の父は秋元あきもとと云い、北畠親房ちかふさの後胤として、非常に勝れた家柄であった。学者風の人物であるところから、公卿にも、武家にも仕えようとはせずと、豪族の一人として閑居していた。
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
日本歴史に趣味を有する者は、何人なんぴとも北畠親房ちかふさの関城書といふ者を知れるなるべし。その書、群書類従の中に収めらる。これ当年親房が結城親朝に与へたる手紙をひとまとめにしたるもの也。
秋の筑波山 (新字新仮名) / 大町桂月(著)
「ぼくは今日きょう先生にぼくのご先祖のことを聞きました。北畠顕家きたばたけあきいえ親房ちかふさ……南朝なんちょうの忠臣です。その血を受けたぼくはえらくなれない法がありません」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
“北畠どの”とは、いうまでもなく、さきノ大納言北畠親房ちかふさのほかではない。
親房ちかふさの第二子顕信あきのぶの子守親もりちか陸奥守むつのかみに任ぜらる……その孫武蔵むさしに住み相模さがみ扇ヶ谷おうぎがやつに転ず、上杉家うえすぎけつかう、上杉家うえすぎけほろぶるにおよびせいおうぎに改め後青木あおきに改む
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)