補佐ほさ)” の例文
永楽の時、史に曲筆多し、今いずくにかそのじつを知るを得ん。永楽簒奪さんだつして功を成す、しか聡明そうめい剛毅ごうきまつりごとす甚だ精、補佐ほさまた賢良多し。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「もうここはよい。ここは一トかたづきした。おぬしは急遽、鎌倉へくだって行き、千寿王を補佐ほさしてくれい」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
 敦仁あつひと親王を 醍醐だいご天皇とものちよりは延喜帝とも申奉る。(御年十三)年号を昌泰しやうたいと改元す。同二年時平公左□臣、 菅神右□臣相倶あひともに みかど補佐ほさし奉らる、時に時平公二十七、 菅神五十四。
げんわたくしどもの土地とち産土様うぶすなさま神明様しんめいさま申上もうしあげてりますが、矢張やは竜神様りゅうじんさまでございまして……。まれ人霊じんれい場合ばあいもあるようにお見受みうけしますが、その補佐ほさには矢張やは竜神様りゅうじんさまいてられます。
われら補佐ほさの者の信念が、やはり貴公のお留守に弱められていたためでもありますが……ともかく、何か、殿にも折入って、貴公にお話し入れいたしたいと仰せられています。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
 敦仁あつひと親王を 醍醐だいご天皇とものちよりは延喜帝とも申奉る。(御年十三)年号を昌泰しやうたいと改元す。同二年時平公左□臣、 菅神右□臣相倶あひともに みかど補佐ほさし奉らる、時に時平公二十七、 菅神五十四。
その補佐ほさには。顕家あきいえの父、北畠亜相あそう(親房)、結城宗広。——供には、冷泉少将家房、伊達だてノ蔵人行朝、三河前司ぜんじ親朝、そのほか数千の弓箭きゅうせんが、列の先もかすむばかり流れて行った。
十五代の執権代しっけんだい、十二代の連署れんしょなど、補佐ほさの重職を歴任してきた彼だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なおそのあいだに新朝廷の補佐ほさたちへも、それとなく諒解をえておきますれば、板屋の御座ぎょざへ、火桶ひおけを入れることや、朝暮ちょうぼのお給仕をもっと良くするぐらいなこと、計らえぬはずはありますまい
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先大殿せんおおとのの御代より、また内匠頭様の御幼少より今日まで、補佐ほさの重職にあって、殿の御気質もよくご存じのはずなるに、この場合、もし殿がここにおしたら、何うせいと仰せらるるか、お心が
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かかるさしずは、補佐ほさの臣こそが、なすべきであったが、天皇のお声の方が先だった。さてとなれば、まるで足もとから鳥の立つ騒ぎなのも、ぜひがない。——側近、たれも彼もが、うろたえている。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)