衣擦きぬず)” の例文
儀右衛門はそこでハッとなり、鋭い苦痛を思って、ふるおののいた。彼は夜具に触れる衣擦きぬずれにも、けだものめいた熱っぽさを覚えるのだった。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
やがて廊下を隔てた隣の間でも、ドシ/\と男の足音がしたり、静かな話声がしたり、衣擦きぬずれの音がしたりして段々客があるらしい。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
ふと、サラ/\と衣擦きぬずれの音がしたかと思うと、背後うしろドアが音もなく開かれた。信一郎が、周章あわてて立ち上がろうとした時だった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
谷風がさやさやと、川楊の葉に衣擦きぬずれのような音をさせて通行する、雲はずんずん進行して、山の緑は明るくなったり、暗くなったりする。
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
説教の間は物音をさせずに静かに細かく話を聞かなければならないものだから、無遠慮に衣擦きぬずれやち居の音はなるべくたてぬようにするがいい
源氏物語:38 鈴虫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
時々軽い衣擦きぬずれの音が聞こえるほかは何の物音もない。窓の外の暗黒と一続きのままシンシンと夜半に近づいて行った。
女坑主 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その時、衣擦きぬずれの音がして、先刻のアラビア女が戻つて来ました。この女は私の年上のガイドの情婦なのです。私たちは三人で奥の狭い部屋に入りました。
亜剌比亜人エルアフイ (新字旧仮名) / 犬養健(著)
世界がすべて自分の眼界から逸した中にただ一人彼女の忠実なことを認める。翼の音のような彼女の衣擦きぬずれの音を感ずる。彼女が行き、きたり、外出し、帰り、話をし、歌をうたうのを聞く。
一つの人影が衣裳の衣擦きぬずれの音をたててはいって来た。名残りの夕映えの光でクリストフは、喪服をつけた婦人の熱っぽい眼を認めた。彼女は室の入口に立ったまま、のどをつまらした声で言った。
お蓮さまはあたふたと、さやさやと衣擦きぬずれの音をさせてはいってきた。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
おそうござんすね。」と、衣擦きぬずれの音をさせて這入つて來ながら、フェアファックス夫人は云つた。「ロチスターさんが仰しやつたよりも一時間おくらせて、晩餐を云ひつけといてようござんしたよ。 ...
驚いたふうも現わさず、感じのよいほどにその人たちが衣擦きぬずれの音を立ててしとねを出したりする様子も品よく思われた。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
先刻の人らしい衣擦きぬずれの音がして、中央のへやから抜けてあちらへ行った。兵部卿の宮がそこへ歩いておいでになって
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
柔らかに身じろぎなどをあそばす衣擦きぬずれの音によって、宮のおすわりになったあたりが想像された。
源氏物語:39 夕霧一 (新字新仮名) / 紫式部(著)
あわてたふうなどは見せずに、静かに奥へ皆が引っこんだ気配けはいには聞こえてこようはずの衣擦きぬずれの音も、新しい絹のがないのか添わないで寂しいが優雅で薫の心に深い印象を残した。
源氏物語:47 橋姫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
人影も少なくなっているのを見て、この人の女の友人である小宰相などのために、隔てを仮に几帳きちょうなどでして休息所のできているのはここらであろうか、人の衣擦きぬずれの音がすると思い
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
今までこの辺の座敷に出ていた人が奥へいざってはいった気配けはいが何となく覚えられて、衣擦きぬずれの音と衣の香が散り、えんな気分を味わった。いつもの御息所みやすどころが出て来て柏木の話などを双方でした。
源氏物語:37 横笛 (新字新仮名) / 紫式部(著)