藪原やぶはら)” の例文
手も顔も泥まみれのままで、腰には木刀を差し、藪原やぶはらの宿場の方へ駈けて行くので、内儀さんがどうしたのかと訊いてやると
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御通行後の二日目は、和宮様の御一行も福島、藪原やぶはらを過ぎ、鳥居峠とりいとうげを越え、奈良井ならい宿お小休み、贄川宿にえがわじゅく御昼食の日取りである。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
が、信州から木曾の藪原やぶはらの宿まで来た時には、二人の路用の金は、百も残っていなかった。二人は、窮するにつれて、悪事を働かねばならなかった。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
洗馬から本山もとやまへ出、本山から新川にいがわ奈良井ならいへ出て、奈良井から藪原やぶはらへ参りまするには、此の間に鳥居峠とりいとうげがございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
木曾の藪原やぶはら奈良井ならいくしの産地として名が聞えます。「於六櫛おろくぐし」といい、もとは吾妻あつま村が本場だったといいます。於六という女が作り始めた梳櫛すきぐしであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それがあとの贄川にえがわだか、峠を越した先の藪原やぶはら、福島、上松あげまつのあたりだか、よくはかなかったけれども、その芸妓げいしゃが、客と一所に、鶫あみを掛けに木曾へ行ったという話をしたんです。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
藪原やぶはら長者は刑殺され、遊女達はことごとく放たれた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
贄川から藪原やぶはらまで一里十三町
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今夜は藪原やぶはらで泊るといってあるのに、宮腰の宿場もまだ遥かてまえなのに、すでに陽は暮れかけているではないか。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それには松本から、洗馬せば奈良井ならいを経て、鳥居峠の南方に隧道トンネル穿うがつの方針で、藪原やぶはらの裏側にあたる山麓さんろくのところで鉄道線は隧道より現われることになる。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
藪原やぶはら長者
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
御順路の日割によると、六月二十六日鳥居峠お野立のだて、藪原やぶはらおよびみやこしお小休み、木曾福島御一泊。二十七日かけはしお野立て、寝覚ねざめお小休み、三留野みどの御一泊。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
鳥居峠とりいとうげはこの関所からみやこし藪原やぶはら二宿を越したところにある。風は冷たくても、日はかんかん照りつけた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
藪原やぶはらで求めた草鞋わらじが何もん、峠の茶屋での休みが何文というようなことまで細かくつけていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
とうとう、藪原やぶはらの先まで追って行った。五日過ぎには彼は友人の後ろ姿を見送って置いて、藪原からひとり街道を帰って来る人であった。旧暦五月の日の光は彼の目にある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いよいよ来たる五月十二日を期して、贄川にえがわ藪原やぶはら王滝おうたき馬籠まごめの四か村から出るものが一同に代わって本庁の方へ出頭するまでの大体の手はずをきめる。彼も心から汗が出た。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)