“苦諫(くかん)” の例文
『お察しの通りでござります。……然し、やがてそれが、よい事になって、兵部が苦諫(くかん)申しあげた所存も御得心がまいりましょう』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三師の苦諫(くかん) 夜の十一時前でございましたが、大谷上人(しょうにん)を始め他の随行の方々と我々と共に団坐(だんざ)してお話することが出来ました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
英国公使アールコックに自分の愛妾(あいしょう)まで与え許している、堀織部はそれを苦諫(くかん)しても用いられないので、刃(やいば)に伏してその意を致(いた)したというのだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それならば机の抽斗(ひきだし)にある芸者の写真はどうしたのですと痛くない腹まで探りますと、その友達があの芸者に溺(おぼ)れて堕落したから非常に苦諫(くかん)して手を切らせて遠方へ友達を遣(や)ったのだ
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
だから、林右衛門は、爾来(じらい)、機会さえあれば修理に苦諫(くかん)を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧(むし)ろ、諫(いさ)めれば諫めるほど、焦(じ)れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
と、翌朝、谷忠兵衛は、同意の家老、重臣、一族たちをひきつれて、再び、元親の前へ、苦諫(くかん)に出た。で、ついに元親も折れて
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これは一応、柴田修理(しばたしゅり)殿か、森三左(もりさんざ)殿へ、そっとお計り申してみよう。苦諫(くかん)を怖れるは忠臣の道でない。御政道に悪いことは、悪いと申しあげた方が、御奉公の誠意だからな」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分を苦諫(くかん)して自刃した平手中務(ひらてなかつかさ)のためには、さすがに政秀寺(せいしゅうじ)まで建立(こんりゅう)してやった。だが、父の霊前に手を合わせたりすることは、信心ぎらいといってよいほどした例(ため)しがなかった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
無能な小人輩は、甘言と佞智(ねいち)をろうすことを、職務のように努めはじめる。曹操のまわりには、つねに苦諫(くかん)を呈して、彼の弱点を輔佐する荀彧(じゅんいく)のような良臣もいたが、その反対も当然多い。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遺書は長文で、言々句々が、中務の真心をこめた、苦諫(くかん)の文字であった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
霊帝はまだご若年(じゃくねん)なので、その悪弊に気づかれていても、いかんともする術(すべ)をご存じない。また、張均の苦諫(くかん)に感動されても、何というお答えもでなかった。ただ眼を宮中の苑(にわ)へそらしておられた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
口を極めて苦諫(くかん)するのであった。けれど範宴は
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)