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磨墨
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するすみ
ふりがな文庫
“
磨墨
(
するすみ
)” の例文
「鮮かじゃ。鮮かじゃ。自得の馬術と思わるるがなかなか見事であるぞ。馬も宇治川先陣の
池月
(
いけづき
)
、
磨墨
(
するすみ
)
に勝るとも劣らぬ名馬じゃ」
旗本退屈男:05 第五話 三河に現れた退屈男
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
だから一子
景季
(
かげすえ
)
が、名馬
磨墨
(
するすみ
)
を賜わって、宇治川へ臨んだのも、親の景時にたいする頼朝の信寵の現われであったといってよい。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この中に乗黄もあるべく、昭夜白も存すべく、はた未来の
生唼
(
いけずき
)
、
磨墨
(
するすみ
)
も活躍致すべく候へば、自今、馬を描くに於ては
大菩薩峠:32 弁信の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
女のつけた振袖に、
紛
(
ふん
)
たる模様の尽きて、是非もなき
磨墨
(
するすみ
)
に流れ込むあたりに、おのが身の
素性
(
すじょう
)
をほのめかしている。
草枕
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
かの宇治川の合戰に、
梶原
(
かぢはら
)
の
磨墨
(
するすみ
)
に乘り勝つて、殿が先陣の功名させられたも、一つはこの生月の働きぢやぞ。
佐々木高綱
(旧字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
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この頃、頼朝は
生食
(
いけずき
)
、
磨墨
(
するすみ
)
という二匹の名馬を持っていた。この生食をしきりに欲しがったのは梶原源太
景季
(
かげすえ
)
である。梶原は頼朝に度々生食拝領を願い出たが
現代語訳 平家物語:09 第九巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
武州河越より
平知盛
(
たいらのとももり
)
に進ぜしを河越黒、余りに黒い故
磨墨
(
するすみ
)
、馬をも人をも
吃
(
く
)
いければ
生唼
(
いけずき
)
など、多く毛色産地気質等に拠って名づけたので、津国の
浪速
(
なにわ
)
の事か法ならぬ。
十二支考:05 馬に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
生月
(
いけづき
)
、
磨墨
(
するすみ
)
、漢の
赤兎目
(
せきとめ
)
もこれまでであろうと思われるような、威風堂々たる逸物であったが、岡郷介は驚きもせずひらりとばかり
跨
(
またが
)
るとタッタッタッタッと馬場を廻る。
郷介法師
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
産馬の方では、佐々木四郎高綱の、宇治川の先陣のときの
池月
(
いけづき
)
(生※)の話が最も有名でありますが、池月と並び称されている
磨墨
(
するすみ
)
もまた、南部
三戸
(
さんのへ
)
の産だったということであります。
文学に現れたる東北地方の地方色:(仙台放送局放送原稿)
(新字新仮名)
/
佐左木俊郎
(著)
だれでも知つているとおり、源太は頼朝が秘蔵の名馬
生食
(
いけずき
)
を懇望したがていよく断られた。そしてそのかわりに生食には少し劣るが、やはり稀代の逸物である
磨墨
(
するすみ
)
という名馬を与えられた。
余裕のことなど
(新字新仮名)
/
伊丹万作
(著)
鷲
(
わし
)
の翼にかくれた
竹童
(
ちくどう
)
のからだは、みるまに、
望楼
(
ぼうろう
)
の屋根をはなれて、
磨墨
(
するすみ
)
のような暗天たかく舞いあがった。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
悍気
(
かんき
)
の立った
生唼
(
いけずき
)
も
磨墨
(
するすみ
)
も、
水面
(
みのも
)
から立つ狂風に吹かれると、たてがみを強く振って、いななきぬいた。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——が、生唼ではないぞ。生唼にまさるとも劣らぬ
磨墨
(
するすみ
)
のほうを
遣
(
つか
)
わそう」
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
梶原景季の
磨墨
(
するすみ
)
である。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
磨
常用漢字
中学
部首:⽯
16画
墨
常用漢字
中学
部首:⼟
14画
“磨”で始まる語句
磨
磨硝子
磨滅
磨臼
磨粉場
磨石斧
磨針峠
磨製石斧
磨上
磨師