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硯友社
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けんいうしや
ふりがな文庫
“
硯友社
(
けんいうしや
)” の例文
それから
硯友社
(
けんいうしや
)
の傾向に私が同化することが出来なかつたことを説く条に、『その癖、
渠
(
かれ
)
は渠等と共通な感傷性を脱し切れなかつた』
エンジンの響
(新字旧仮名)
/
田山花袋
、
田山録弥
(著)
それを
石橋
(
いしばし
)
と
私
(
わたし
)
とで
頻
(
しきり
)
に
掘出
(
ほりだ
)
しに
掛
(
かゝ
)
つた、すると
群雄
(
ぐんいう
)
四方
(
しはう
)
より
起
(
おこ
)
つて、
響
(
ひゞき
)
の声に
応
(
おう
)
ずるが
如
(
ごと
)
しです、
是
(
これ
)
が
硯友社
(
けんいうしや
)
創立
(
さうりつ
)
の
導火線
(
だうくわせん
)
と
成
(
な
)
つたので
硯友社の沿革
(新字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
硯友社
(
けんいうしや
)
時代の小説にでも出て來る、親孝行で優しくて、身を賣つて病父の藥を購ふといふやうな、古風な哀れつぽさで取卷かれてゐる女主人公になつてしまつた。
大阪の宿
(旧字旧仮名)
/
水上滝太郎
(著)
明治二十七八年頃
江見水蔭子
(
えみすゐいんし
)
がこの地の
娼婦
(
しやうふ
)
を材料として
描
(
ゑが
)
いた小説「
泥水清水
(
どろみづしみつ
)
」の一篇は当時
硯友社
(
けんいうしや
)
の文壇に傑作として批評されたものであつたが、今よりして
回想
(
くわいさう
)
すれば
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
それも
当世
(
たうせい
)
のお嬢さんではない。五六年来
迹
(
あと
)
を絶つた
硯友社
(
けんいうしや
)
趣味の娘である。
あばばばば
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
▼ もっと見る
「矢ツ張り、實感によつて、實感の眞劍勝負なる文藝でなければならない。」と思ふと、死んだ
二葉亭
(
ふたばてい
)
が
硯友社
(
けんいうしや
)
派的な遊戲文學者、餘裕文學者等と相伍するを嫌つたのは、今更ら
卓見
(
たくけん
)
であつたのだ。
泡鳴五部作:05 憑き物
(旧字旧仮名)
/
岩野泡鳴
(著)
次
(
つぎ
)
に
硯友社
(
けんいうしや
)
の
興
(
な
)
るに
就
(
つ
)
いて、第二の
動機
(
だうき
)
となつたのは、
思案外史
(
しあんがいし
)
と
予備門
(
よびもん
)
の
同時
(
どうじ
)
の
入学生
(
にふがくせい
)
で
相識
(
あいし
)
つたのです、
其頃
(
そのころ
)
は
石橋雨香
(
いしばしうかう
)
と
云
(
い
)
つて
居
(
ゐ
)
ました
硯友社の沿革
(新字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
失敗
(
しつぱい
)
あり、
喜怒
(
きど
)
有り
哀楽
(
あいらく
)
ありで、一部の
好小説
(
こうせうせつ
)
が出来るのです、で
又
(
また
)
今後の
硯友社
(
けんいうしや
)
は
如何
(
いかに
)
と
云
(
い
)
ふのも
面白
(
おもしろ
)
い問題で、九年の
平波
(
へいは
)
に
掉
(
さをさ
)
して
居
(
ゐ
)
た
私
(
わたし
)
の
気運
(
きうん
)
も
硯友社の沿革
(新字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
“硯友社”の解説
硯友社(けんゆうしゃ)は、明治期の文学結社。1885年、尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、丸岡九華によって発足。「我楽多文庫」を発刊し、川上眉山、巖谷小波らが参加し当時の文壇で大きな影響を与える一派となった。
明治36年(1903年)10月の紅葉の死によって解体したが、近代文体の確立など、その意義は大きい。
(出典:Wikipedia)
硯
漢検準1級
部首:⽯
12画
友
常用漢字
小2
部首:⼜
4画
社
常用漢字
小2
部首:⽰
7画
“硯友社”で始まる語句
硯友社員
硯友社機関