甲武信こぶし)” の例文
甲武信こぶしの山脈の折り重なっている有名な嶮路で、不便は元よりのこと、めったに便りをもたらす飛脚の往来とてもない山地ですから
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
田舎の家からは、朝な夕なに甲武信こぶし三山を始め、破風はふ雁坂かりさかから雲取に至る長大なる連嶺を眺めて、絶えず心を惹かれていたのに。
思い出す儘に (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その笛吹川沿岸の村々を隔てて、甲武信こぶしたけから例の大菩薩嶺、小金沢、笹子、御坂みさか、富士の方までが、前面に大屏風おおびょうぶをめぐらしたように重なっています。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
甲武信こぶしの国境の薄白い山々がくぎっているのを眺めたりしていると、なかなか好いことは好い。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
南牧みなみまき北牧きたまき相木あいきなどの村々がちらばっていまして、金峯山きんぷさん国師こくしたけ甲武信こぶしたけ三国山みくにやまの高くそびえたかたちを望むこともでき、また、甲州にまたがったつがたけの山つづきには
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
国司こくし岳とあるものは恐らく今の所謂いわゆる甲武信こぶしまた三宝さんぽう山を指したもので、他の少数の著書や地図と同じ誤謬に陥ったのであろう。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
たとえ甲武信こぶしのような嶮しい所でもひるみはせぬが、どうも、奥秩父の方だけは……と誰も彼も、しりごみをいたしまして、御用に立つべき胆気の者がござりませぬので……
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はい、そのコブシというのは、つまり甲斐と武蔵と信濃の三国にまたがる甲武信こぶしたけの方面かと存じますが、一方のハッコツが、どうしても見当がつきませんでございます。万用絵図を
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
八つが岳の山つづきにある赤々とした大崩壊おおくずれの跡、金峯きんぶ国師こくし甲武信こぶし三国みくにの山々、その高くそびえた頂、それから名も知られない山々の遠く近く重なり合った姿が、私達の眺望ちょうぼうの中に入った。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
薬研やげんのような谷底を甲武信こぶし岳の直下まで遡り得るのは、この種類の峡谷としては、恐らく東沢にのみ見られる特色であろう。
渓三題 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
事実、コブシは甲武信こぶしに通ずるが、ハッコツは何の意味かわからない。さてコブシの方面へ分け入ったという人と、ハッコツへ向け出立したという者と、いずれがいずれかわからない。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
更に地質の上からいうと、秩父の奥山の主脈は大略これを四つに分つことが出来よう。第一は西の小川山から甲武信こぶし岳の附近に至る金峰きんぷ、奥仙丈山塊を含むもの。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それをまた右にしては鶏冠山けいかんざん牛王院山ごおういんざん雁坂峠かりざかとうげ甲武信こぶしたけであります。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私どもの秩父行は、明治四十二年五月の雲取山、十月の甲武信こぶし岳登山から始まったと称してよい。
初めて秩父に入った頃 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
甲武信こぶしの下に山ごもりをしていた猟師の勘八がこの響きを聞いて
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
試に武甲信の三州界に兀立ごつりつする甲武信こぶし岳の頂上に立って俯瞰すると、千曲、笛吹、荒川の三川が三本の糸をつまみ上げたように直ぐ脚の下まで上って来ているのを見るであろう。
奥秩父 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
右の釜沢はその名の如く滝と釜との連続で、これを遡れば直接に甲武信こぶし岳に登れる。
秩父の渓谷美 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
自分は曾て凌雲閣の上から、ふと甲武信こぶし岳の幻影をこの中央の山に見た。
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
甲武信こぶし岳から林道を栃本に出ようというのが第二案であった。
釜沢行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)