狩野かの)” の例文
魚住勝七、小河おがわ愛平、金森義入ぎにゅう狩野かの又九郎、武田喜太郎、柏原かしわばら兄弟、今川孫二郎なども終始主君のそばから離れずに斬りふせいでいた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和十は河東節かとうぶしの太夫、良斎は落語家、北渓は狩野かの家から出て北斎門に入った浮世絵師、竹内は医師、三竺、喜斎は按摩あんまである。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「雪祭」かそけきかも、きよしはうれしきかも。その窓に富士を見さけて、狩野かのの瀬に月を仰ぎて、豊かなる心ばえやなほも、ほのぼのと朝夜あらし。
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
呂宋と姓をあらためた助左衛門が、邸の襖や天井に狩野かの永徳に絵を描かせ、七宝をちりばめ、金銀をるという豪奢ごうしゃに耽ったことが秀吉の怒りにふれ、家財を没収された。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
うの花にはまだ早い、山田小田おだ紫雲英げんげのこんの菜の花、並木の随処に相触れては、狩野かの川が綟子もじを張って青く流れた。雲雀ひばりは石山に高くさえずって、鼓草たんぽぽの綿がタイヤのあおりに散った。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
よどの遊君亀千代の繊手せんしゅを、爪のもとまで毛の生えている、熊のような手でグッと握り、奥へしょびいて行こうとするのを、同じ路からやって来たところの、狩野かの彦七郎左衛門ノじょう
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
伊豆の国狩野かのの庄、修禅寺村(今の修善寺)桂川のほとり、夜叉王の住家。
修禅寺物語 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
試みに今土佐とさ狩野かの円山等まるやまとう各派の制作と浮世絵とを比較するに、浮世絵肉筆画は東洋固有の審美的趣味よりしてその筆力及び墨色ぼくしょくの気品に関しては決して最高の地位を占むるものにはあらざるべし。
浮世絵の鑑賞 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
名ある将校だけでも、細江左馬介、浅井斎あさいいつき狩野かの次郎左衛門兄弟、弓削ゆげ六郎左衛門、浅井雅楽助うたのすけ今村掃部いまむらかもん、黒崎備中、等々々、戦後の織田方の首帳に、豪華な亡命者の名をならべた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊豆の國狩野かのの庄、修禪寺村(今の修善寺)桂川かつらがはのほとり、夜叉王の住家。
修禅寺物語 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
でも両親が宗家と共に、城中で切腹いたしまして、妾一人が乳母や下僕に、わずかに守られて城を出てからは、昔の栄華は夢となり、丹波たんばの奥の狩野かのの庄で、みすぼらしく寂しく暮らしました。
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)