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洗馬
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せば
ふりがな文庫
“
洗馬
(
せば
)” の例文
せしとて甚だ通なり
甞
(
かつ
)
て
出立
(
しゆつたつ
)
の時に曰く木曾海道美人に乏し和田峠西もちや村の餅屋に一人また
洗馬
(
せば
)
に一人あり洗馬のは
予
(
われ
)
未だ其比を
木曽道中記
(旧字旧仮名)
/
饗庭篁村
(著)
この六月には
洗馬
(
せば
)
から出発して、
戸隠
(
とがくし
)
に参詣して七月末に北信に向かったことが、「
来目路
(
くめじ
)
の橋」というのに詳しく記してある。
雪国の春
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
早く木曾路に入らんことのみ急がれて原新田まで三里の道を馬車に縮めて
洗馬
(
せば
)
までたどりつき饅頭にすき腹をこやして本山の玉木屋にやどる。
かけはしの記
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
諏訪を通れば木曽街道で、塩尻、
洗馬
(
せば
)
、もと山と、路はだんだん険しくなる。にえ川、奈良井へ来た頃には、またもやその日が暮れかかった。
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
それには松本から、
洗馬
(
せば
)
、
奈良井
(
ならい
)
を経て、鳥居峠の南方に
隧道
(
トンネル
)
を
穿
(
うが
)
つの方針で、
藪原
(
やぶはら
)
の裏側にあたる
山麓
(
さんろく
)
のところで鉄道線は隧道より現われることになる。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
▼ もっと見る
信州路へ這入って善光寺へ参詣をいたし、善光寺から松本へかゝって、
洗馬
(
せば
)
という
宿
(
しゅく
)
へ出ました。
敵討札所の霊験
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
桔梗が原の尽頭第一の駅路は
洗馬
(
せば
)
である。
犀川
(
さいがわ
)
の源流の一つである奈良井川は駅の後方に近く流れ、山がやや迫って山駅の趣が先ず目に這入る。駅は坂路ですこぶる荒廃の姿を示している。
木曽御嶽の両面
(新字新仮名)
/
吉江喬松
(著)
洗馬
(
せば
)
から塩尻の宿場を過ぎ、今夜のうちに、峠まで登って待ちかまえていれば、その間に、二刻の
道程
(
みちのり
)
は追い越し、やがて夜明けと共に、後から奈良井の大蔵と城太郎が通りかかるにきまっている。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
翌日は塩尻峠を越して
洗馬
(
せば
)
に出てそれから木曾街道を下りました。
木曾御岳の話
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
郷原から
洗馬
(
せば
)
へ一里二十四町
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
洗馬
(
せば
)
にて
芭蕉雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
「今日は是非とも
洗馬
(
せば
)
を越えて
贄川
(
にえかわ
)
辺まで参りたくあれど、女の足のご難儀ならば
元山
(
もとやま
)
の宿で
宿
(
と
)
まりましょうほどに、ゆるゆるとおいでなさりませ」
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
追分
(
おいわけ
)
、
洗馬
(
せば
)
の三宿に設けられたのがいわゆる御貫目改め所であって、幕府の役人がそこに出張することもあり、問屋場のものの立ち合って改めたこともあった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
馳
(
は
)
せ
洗馬
(
せば
)
へ着く昔は
木曽道中記
(旧字旧仮名)
/
饗庭篁村
(著)
道は二つある。これから
塩尻峠
(
しおじりとうげ
)
へかかり、
桔梗
(
ききょう
)
が
原
(
はら
)
を過ぎ、
洗馬
(
せば
)
本山
(
もとやま
)
から
贄川
(
にえがわ
)
へと取って、
木曾
(
きそ
)
街道をまっすぐに進むか。それとも
岡谷
(
おかや
)
辰野
(
たつの
)
から
伊那
(
いな
)
道へと折れるか。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「木曽一帯は福島と云わず、藪原であれ
洗馬
(
せば
)
であれ、みなよい所でございます」
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
“洗馬(洗馬(塩尻市))”の解説
洗馬(せば)は、長野県塩尻市の大字である。
(出典:Wikipedia)
洗
常用漢字
小6
部首:⽔
9画
馬
常用漢字
小2
部首:⾺
10画
“洗馬”で始まる語句
洗馬隧道