泉州せんしゅう)” の例文
明治七年の四月になって河野は大阪から泉州せんしゅうの貝塚へ移り住んだ。その時分から彼の敬神のかんがえは非常に突きつめたものになっていた。
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
京阪の迷信とともに、畿内きないの迷信もあわせて述べておこうと思う。まず、泉州せんしゅう堺市の南宗寺という寺に利休の碑があるそうだ。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
泉州せんしゅう沢庵たくあんなどが見えた日は、病室には談笑の声さえ聞えた。奈良なら宝蔵院胤栄ほうぞういんいんえいは、かれよりも十数年まえに歿していた。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大和やまとの方から泉州せんしゅうめぐり、そこに潜伏中の宮和田胤影みやわだたねかげい、大坂にある岩崎長世ながよ、および高山、河口かわぐちらの旧友と会見し、それから京都に出て
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
泉州せんしゅうさかいだったよ」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
泉州せんしゅう岸和田きしわだの孫兵次(中村一氏かずうじ)へ、これも念のため、黒田官兵衛、生駒甚助、明石与四郎などの手勢六、七千を加勢として送りつけておくことも」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
泉州せんしゅう堺港さかいみなと旭茶屋あさひぢゃやに、暴動の起こったことが大坂へ知れたのは、異人屋敷ではこの馳走の最中であった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
翌日は吉野路よしのじを通って、五条橋本ごじょうはしもとなど云う処をてそのかごとりと云う山の辻堂つじどうで一泊し、十日になって紀州路きしゅうじから泉州せんしゅう牛滝うしたきと云う処へ越え、それから葛城山かつらぎざんへ往った。
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しかるに、ここに泉州せんしゅうさかい住人じゅうにん一火流いっかりゅう石火矢いしびや又助流またすけりゅう砲術ほうじゅつをもって、畿内きないに有名な鐘巻一火かねまきいっかという火術家かじゅつか
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生地は泉州せんしゅう大鳥郡おおとりごおりの者とか、三河の産とかいうはなしだが、いずれにしても、堺に住み馴れてからだいぶ古い。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
根来ねごろへ、根来へ、とそれは奔河ほんがをなして行く。早くも、根来の衆徒は、諜報ちょうほうにこぞり立って、泉州せんしゅう岸和田きしわだ附近から、千石堀せんごくぼり積善寺しゃくぜんじ浜城はましろなどにわたって、とりでを構え
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
泉州せんしゅうさかいだ。なんでもかまわねえから、張れるッたけをはって、ぶっとおしにいそいでいけ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小六が泉州せんしゅうさかいからひそかに呼びよせた、鉄砲鍛冶の国吉くによしが、弟子と共に、仕事していた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そう思いつのる日もあり、夜もありつつも、少年の一面には、この泉州せんしゅうさかいという港場のもつ絢爛けんらんな文化だの、異国的な街だの、船舶のいろだの、そこに住む人たちの豪奢な生活だのにも
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
持って、泉州せんしゅうさかいへ行くがいい。かねは路用に。てがみは堺の千宗易せんのそうえきというものに宛ててあるから、その宗易に会って、身のふりかたを計るがいい。そちの天分を生かすように考えてくれるだろう
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)