河内国かわちのくに)” の例文
みんなは、そこから、なお東へ東へとかじを取って、やがて摂津せっつ浪速なみはやの海を乗り切って、河内国かわちのくにの、青雲あをぐも白肩津しらかたのつという浜へ着きました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
親王は六十二歳の文中三年ようやく吉野に御帰りになった。間もなく天授三年長谷はせで再び出家をとげられ、弘和元年『新葉集』を撰ばれた頃は河内国かわちのくにに住居された。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
河内国かわちのくに赤坂の地へ、楠木正成くすのきまさしげが城を築き、宮方ご加担武家討伐の、義兵を挙げたのはこの頃であった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
悪右衛門あくうえもんおどろいてかえると、それはおな河内国かわちのくに藤井寺ふじいでらというおてら和尚おしょうさんでした。そのおてら石川いしかわいえ代々だいだい菩提所ぼだいしょで、和尚おしょうさんとは平生へいぜいから大そう懇意こんい間柄あいだがらでした。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
河内国かわちのくに金剛山こんごうさんの西、水分山みくまりやまのほとりに住む、楠木多聞兵衛正成くすのきたもんびょうえまさしげと申す者」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先生はこの調査のためにわざわざ河内国かわちのくにへ出張し、観心寺かんしんじおよび信貴山しぎさん、金剛寺その他楠公に関係ある所へ行って甲冑かっちゅうを調べたのです。また加納夏雄先生と今村長賀ちょうが先生とは太刀たちのことを調べました。
このうまった大将たいしょうは、やはりおとなり河内国かわちのくにんでいる石川悪右衛門いしかわあくうえもんというさむらいでした。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
あるとき河内国かわちのくに交野かたのというところに、備中守実高びっちゅうのかみさねたかというおさむらいがありました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)