桐生きりゅう)” の例文
上州の桐生きりゅう附近ではオキャクサンヤッコ、信州諏訪すわ地方でオキャクボッコ、またはオキャナンコというのが東京などの御客遊びに該当する。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
桐生きりゅう大学カレッジへ。桐生の大学は紡織と染色では私の国にまで響いています。独逸ドイツのフランクフルトアムマインの大学よりももっと響いています。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
池鰹鮒ちりう家の息女おえつかた、———後の松雪院しょうせついんは、河内介が多聞山の城に帰ってからまだ半年もたゝない永禄えいろく元年の三月に、桐生きりゅう家に輿入こしいれした。
いい忘れましたが、栗太くりた上田上かみたなかみ桐生きりゅうでは、御用品として年々良質の「雁皮紙がんぴし」をきます。「雁皮紙」は和紙の主と讃えらるべきものであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
また小倉織おぐらおりと云う織方おりかたの唄は少し違って居ります。「可愛い男に新田山通にたやまがよい小倉峠が淋しかろ」、これは新田山と桐生きりゅうの間に小倉峠と云う処がございます。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
桐生きりゅう特産優美観光織」と称せるより見れば、いわゆる観光縮緬のことなるべく、それを帯一筋につき一円二〇銭より一円七〇銭までの間にて売るものなるが
面白き二個の広告 (新字新仮名) / 堺利彦(著)
市川いちかわとか、桐生きりゅうとか、前橋とかいう小さい町までもが、苦しい町費ちょうひをさいて、一と通りは、防空演習をやっているのに、大東京という帝都が、まとまった防空演習を
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
独美の家は門人の一人が養子になっていで、二世瑞仙と称した。これは上野国こうずけのくに桐生きりゅうの人村岡善左衛門むらおかぜんざえもん常信じょうしんの二男である。名はしんあざな柔行じゅうこう、また直卿ちょくけい霧渓むけいと号した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
老夫婦はもと箱崎町はこざきちょうにいた金貸で、罹災の当日、逃げ迷った道すがら、おたみを助け、その郷里の桐生きりゅうって年を越し、東京に帰って来てから、引取る人の尋ねて来るのを待つ間
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
五月二十日 群馬県、桐生きりゅう、桐生句謡会。岡部公園、東泉閣。
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
正「新助どん誠に御無沙汰を致しました、実は桐生きりゅうきまして、一昨日おとゝい帰りまして、新八松屋で聞いて驚きましたが……これは詰らないものですがお土産に」
秩父はその銘仙めいせんで名を成しますが、昔のような太織ふとおりはもうほとんど影をひそめました。伊勢崎は同じ銘仙一点張りで進んでいますが、これに対し桐生きりゅうは何でも作ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
東京都下では八王子、青梅おうめ、村山の如き、そのやや北には埼玉県の秩父ちちぶ更にさかのぼって群馬県の伊勢崎や桐生きりゅう。そこから右に折れて栃木県の足利あしかがや佐野、更に東すると茨城県の結城ゆうきがあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
連れ子をして後添になって居ますうちに、清左衞門は三年あと亡なりましたゆえ、其の忰が桐生きりゅうから帰って来ました所、私の心掛けが悪い所から遂に離縁となり、此の子と一緒に追い出され
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)