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むらまさ
ふりがな文庫
“
村正
(
むらまさ
)” の例文
「吉良の脇指も
村正
(
むらまさ
)
と同じことかな」と、半七はほほえんだ。「そこで、その脇指はどうなったね。伝蔵が持ち逃げかえ」
半七捕物帳:61 吉良の脇指
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「いや、よく打ち明けくだされて、てまえも心うれしく存ずるが、おそらくその刀、
村正
(
むらまさ
)
でござろうな」
右門捕物帖:07 村正騒動
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
画
(
え
)
を善くして、「
外浜画巻
(
そとがはまがかん
)
」及「
善知鳥
(
うとう
)
画軸」がある。剣術は群を抜いていた。壮年の頃
村正
(
むらまさ
)
作の
刀
(
とう
)
を
佩
(
お
)
びて、本所
割下水
(
わりげすい
)
から
大川端
(
おおかわばた
)
辺
(
あたり
)
までの間を
彷徨
(
ほうこう
)
して
辻斬
(
つじぎり
)
をした。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
三位卿は混惑してきた
脳髄
(
のうずい
)
をいきなり
村正
(
むらまさ
)
かなんぞの鋭利な
閃刃
(
せんじん
)
で、スッカリと
薙
(
な
)
ぎ抜けられたような心地がして、踏みしめている足の裏から、かすかな戦慄さえおぼえた。
鳴門秘帖:05 剣山の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この人のあだ名を俗に「
村正
(
むらまさ
)
」と言っている。士分には相違ないが、宮方か、江戸かよくわからない。江戸風には相違ないが、さりとて、
生
(
は
)
え抜きの江戸っ児でない証跡は幾つもある。
大菩薩峠:40 山科の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
磨
(
と
)
ぐとその家の主人が発狂するという
村正
(
むらまさ
)
の短刀——
ドグラ・マグラ
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
それも長くはつづかないで、今の次郎左衛門が持っているものは、自分のからだ一つと
村正
(
むらまさ
)
の刀一本になってしまった。
籠釣瓶
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
ここにいたれば、もはやただわがむっつり右門の、名刀
村正
(
むらまさ
)
のごとき
凄婉
(
せいえん
)
なる切れ味を待つばかりです。
右門捕物帖:04 青眉の女
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
されば、
村正
(
むらまさ
)
の斬れあじも、もつ人の腕しだいであるし、千
里
(
り
)
の
駒
(
こま
)
も乗り手による。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さすがに
村正
(
むらまさ
)
どん、その
風情
(
ふぜい
)
を興がって、眼を細くして、前の酔客の形を
真似
(
まね
)
でもしたように仰向けになってながめ廻していたが、さて、どんなものだと、壁際へ避けた
件
(
くだん
)
の酔客の姿を見ると
大菩薩峠:40 山科の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
次郎左衛門
(
じろざえもん
)
が
野州
(
やしゅう
)
佐野の
宿
(
しゅく
)
を出る朝は一面に白い霜が
降
(
お
)
りていた。彼に伴うものは彼自身のさびしい影と、忠実な
下男
(
げなん
)
の
治六
(
じろく
)
だけであった。彼はそのほかに千両の金と
村正
(
むらまさ
)
の刀とを持っていた。
籠釣瓶
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
たまらねえね。こういうなぞたくさんの変事になると、知恵蔵もたくさんあるが、切れ味もまたいいんだから。え? だんな。遠慮はいらねえんだ。ちょっくら小手しらべに、
正宗
(
まさむね
)
、
村正
(
むらまさ
)
、はだしというすごいところを
右門捕物帖:31 毒を抱く女
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
“村正”の解説
村正(むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんご むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工。千子派の祖。およびその名跡、その作になる日本刀の名。
同銘で六代以上あり、中でも右衛門尉村正(文亀・永正頃(1501–1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永・天文頃(1521-1555年頃)に活躍)が最大の名工だが、名跡そのものは少なくとも寛文8年(1668年)まで存続した。
(出典:Wikipedia)
村
常用漢字
小1
部首:⽊
7画
正
常用漢字
小1
部首:⽌
5画
“村”で始まる語句
村
村人
村雨
村長
村里
村落
村方
村端
村々
村夫子