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朝廟
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ちょうびょう
ふりがな文庫
“
朝廟
(
ちょうびょう
)” の例文
それから程なく、西涼の太守
馬騰
(
ばとう
)
と、
并州
(
へいしゅう
)
の
刺史
(
しし
)
韓遂
(
かんすい
)
のふたりは、十余万の大軍をあわせて、「
朝廟
(
ちょうびょう
)
の賊を掃討せん」と号して長安へ押しよせて来た。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
政治
(
まつり
)
は
朝廟
(
ちょうびょう
)
で議するも、令は相府に左右される。公卿百官はおるも、心は曹操の一
顰
(
びん
)
一
笑
(
しょう
)
のみ怖れて、また、宮門の直臣たる
襟度
(
きんど
)
を持しておる者もない。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中でも司徒
王允
(
おういん
)
は、わが家へ帰る車のうちでも、董卓の悪行や、
朝廟
(
ちょうびょう
)
の
紊
(
みだ
)
れを、つくづく思い
沁
(
し
)
めて
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
妖人
宋江
(
そうこう
)
は、国賊のこと、
朝廟
(
ちょうびょう
)
の大法に照らし、天下ご直裁の例に
倣
(
なら
)
うとの仰せである、すなわち、
檻車
(
かんしゃ
)
に乗せ、使軍に護らせ、すみやかに都門へ
押送
(
おうそう
)
するように。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも
朝廟
(
ちょうびょう
)
あやうき間、献帝諸方を流浪のうちも、いまだ国を
匡
(
ただ
)
し、
奸
(
かん
)
をのぞき、真に
宸襟
(
しんきん
)
を安めたてまつれりという功も聞かず、ひとえに時流をうかがい権者に媚び
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
しかもかんじんな丞相孔明は、どうしたのかここ数日、
朝廟
(
ちょうびょう
)
にもそのすがたすら見せなかった。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
朝廟
(
ちょうびょう
)
のうちには、このところ、不穏なうごきが見えぬでもない。権臣の陰謀だの、皇后を廃して追うなど、咲き
熟
(
う
)
れた花の
腐
(
す
)
えが、そろそろ、自然の
凋落
(
ちょうらく
)
を急ぐかに思われた。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まだ
法体
(
ほったい
)
にならぬまえは——月輪関白
兼実
(
かねざね
)
として
朝廟
(
ちょうびょう
)
の政治に明け暮れしていたころは、非常に気も
昂
(
たか
)
く強く、七人もいる
息女
(
むすめ
)
たちのことにでも
屈託
(
くったく
)
などしたことのない性格であったが
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
どうすることもできなかった
朝廟
(
ちょうびょう
)
の
大奸
(
だいかん
)
董卓
(
とうたく
)
を亡ぼしてから、ふたたび
李傕
(
りかく
)
一派の乱に遭い、それがしが漢朝に致した忠誠も水泡に帰して、むなしく地方に脱し、諸州に軍を養わんとしてきましたが
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
月輪兼実
(
つきのわかねざね
)
が、
朝廟
(
ちょうびょう
)
にあって、関白の実権をにぎっている時代なら、当然、こんなことは起らないのであるが、その月輪公は、両三年前に、すでに官をひいて、
禅閤
(
ぜんこう
)
ととなえ、今では隠棲しているので
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「漢室が衰えたあと、
朝廟
(
ちょうびょう
)
はどうなるであろう」
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
朝
常用漢字
小2
部首:⽉
12画
廟
漢検準1級
部首:⼴
15画
“朝”で始まる語句
朝
朝夕
朝飯
朝臣
朝餉
朝日
朝食
朝陽
朝靄
朝鮮