播磨守はりまのかみ)” の例文
この年、平太清盛は、ふたたび昇って、安芸守あきのかみに任官した。父忠盛は、前からの播磨守はりまのかみだが、いまは、父子そろっての、かみである。
桃井播磨守はりまのかみの末の幸若丸こうわかまるが幸若舞をはじめる。二条良基の庇護ひごを受けた連歌師救済れんがしきゅうせいの手で、『筑波集つくばしゅう』や『応安新式おうあんしんしき』やが作られてから、連歌はいよいよ京都での流行を増した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
弘庵は町奉行池田播磨守はりまのかみの尋問を受け一時許されて家に還った。弘庵が捕縛の顛末てんまつはその門人依田学海よだがっかいの談話を坂田篁蔭さかたこういんの手記したるもの、その著『野辺の夕露』に載せてある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
するとここに不思議なことには、井伊掃部頭いいかもんのかみさまの信任厚い町奉行、池田播磨守はりまのかみの用人や、加役の組下、三めぐりの旦那方などの下を働く者のあいだに、実に奇妙な変死が絶えない。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
したがって斉昭隠退の事件にはまったく水戸家と対立することになり、また幕命によって松平大学、松平播磨守はりまのかみの二家とともに「後見」という名で水戸家の内政関渉の役に就いた。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
播磨守はりまのかみ政岑は、分家とはいえ門地の高い生れだけあって、顔に間の抜けたところがなく、容貌はむしろ立派なほうだが、ツルリとしたいき好みの細面ほそおもてがいかにも芸人みたふうにみえ
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「四谷左門町、播磨守はりまのかみ様の裏手、黒板塀にともえの印、……そこをおたずねなさりませ」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
夫人 その雨を頼みにきました。——今日はね、この姫路の城……ここかられば長屋だが、……長屋の主人、それ、播磨守はりまのかみが、秋の野山へ鷹狩たかがりに、大勢で出掛けました。みんな知っておいでだろう。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
『海道筋三島宿にては、水戸の播磨守はりまのかみが家来は泊めぬか、おれは御用の儀が有り、遠州雨の宮へ御きかんの便りに行くのだが、仕方がないから、これより引返して、道中奉行へ屋敷より掛合う故、それまでは御用物は問屋へ預け参るから大切にしろ』
それも、安芸守あきのかみ播磨守はりまのかみだった時代の一朝臣あそんの頃には、物にかまわぬおもしろい殿よ——と似合いもしたがである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
老武士はかたちを改めて、「拙者は井上播磨守はりまのかみの家臣、大番頭にて沖田源左衛門と申す」
おもかげ抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
景勝は、家臣石川播磨守はりまのかみを遣って、その戦捷せんしょうを祝し、また、秀吉の会盟の意にこたえては
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播磨守はりまのかみ正成はまだ二十四歳で、家督をしてから五年にしかならない。
古今集巻之五 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と、打ち興じているところへ、留守として姫路に残る小出播磨守はりまのかみと三好武蔵守が
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太守の弾正大弼憲綱だんじょうたいひつのりつなは、二歳の時、吉良家から養子にもらわれて、上杉家の嗣子ししに坐ったのであって、上野介は実父にあたる人でもあるし、母の富子の方も、同族の上杉播磨守はりまのかみから出ているので
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)