忌辰きしん)” の例文
しかしわたくしは大正壬戌じんじゅつの年の夏森先生をうしなってから、毎年の忌辰きしんにその墓を拝すべく弘福寺の墳苑におもむくので、一年に一回向島のつつみよぎらぬことはない。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
将軍家の忌辰きしんにもあたっていたので、夫婦ともに、斬罪という憂き目にあった人だった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
跋文ばつぶんを読むに、この書は二世瑞仙晋ずいせんしんの子直温ちょくおんあざな子徳しとくが、慶応元年九月六日に、初代瑞仙独美の五十年忌辰きしんあたって、あらたに歴代の位牌いはいを作り、あわせてこれを纂記さんきして、嶺松寺に納めたもので
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
明治辛未しんびの三歳、吾がてつ義卿ぎけい身を致せしをること、すでに十三年なり。その間風雲しばしば変わり、つねに中懐に愴然そうぜんたること無きあたわず。十月某日はすなわちその忌辰きしんなり。祭りてこれに告げていう。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
石の頂に屋根形やねがたの飾りが載せてあって、英字で姓名及び官名。それに忌辰きしんが刻してある。石の傍にあまり大きくない一株の梅があって、その枝には点々として花がさいていた。
墓畔の梅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかしいたずらに幾多の法名と忌辰きしんとを見たのみで遂に一人として俗名の明なるものを見ることができなかった。長男に生れた竹渓は何故に鷲津氏を継がずして他姓を冒したのであろう。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
正月二日は父の忌辰きしんである。或年の除夜翌朝父の墓前に捧ぐべき蝋梅ろうばいの枝をろうとわたしは寒月皎々こうこうたる深夜の庭に立った。その時もわたしはただちにこの事を筆にする気力があった。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)