弓箭ゆみや)” の例文
法を護る諸天善神達は絢爛けんらんなる甲冑にほこ、剣、戟、金剛杵こんごうしょ弓箭ゆみやにて働く。或は三面に八臂はっぴなるあり、或は一面に三眼を具するもある。
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
の島津殿と申すは、かたじけなくも清和天皇の御末、多田満仲ただのみつなかよりこのかた、弓箭ゆみやの家に誉を取り、政道を賢くし給へば……」
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
弓箭ゆみやは農民の間では早くから、神祭の折にしか用いられていなかった。従ってその技能は劣っていて、実際の役に立たなかったのである。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「でも、わしは一介の食客だ。いかに袁術が可愛がってくれても、わしにけだものをおう狩猟弓は持たせても、大事を興す兵馬の弓箭ゆみやは持たせてくれない」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が来たから箭をむくいた、刀が加へられたから刀を加へた、弓箭ゆみや取る身の是非に及ばず合戦仕つてさいはひに斬り勝ち申したでござる、と言つたに過ぎまい。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
むこ十川そごう(十川一存かずまさの一系だろうか)を見放つまいとして、搢紳しんしんの身ながらにしゃくや筆をいて弓箭ゆみややり太刀たちを取って武勇の沙汰にも及んだということである。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「ゆめ、弓箭ゆみやの太刀のと、血臭いわざは思い絶ち、たとえすすめる者があろうと、耳には入れ給うなよ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
羽後うご男鹿おが半島では、北浦の山王さんのう様の神主竹内丹後の家に、先祖七代までの間、代々片目であったという伝説が残っています。この家の元祖竹内弥五郎は弓箭ゆみやの達人でありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
多年弓箭ゆみやにかけて攻取ったる国郡をムザムザ手離さねばならぬは必定の事、我が君今年正月七日の連歌れんがの発句に、ななくさを一手によせて摘む菜かなと遊ばされしは
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
血のなかに、多分にまだ、祖先の勇武と、現代への不満を抱いて、時しあらばふたたび、弓箭ゆみやのなかに運命の風雲を捲き起そうと——かねてから結びあっている家党のともがらなのである。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其御言葉は一応御尤ごもっともには存ずるが、関白も中々世の常ならぬ人、匹夫ひっぷ下郎げろうより起って天下の旗頭となり、徳川殿の弓箭ゆみやけたるだに、これに従い居らるるというものは
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
弓箭ゆみやをたずさえた四、五十騎の一隊がまっしぐらに城へ向って寄せてくる」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先隊の四将、蒲生源左衛門、蒲生忠右衛門、蒲生四郎兵衛、町野左近等、何躊躇ちゅうちょすべき、しおらしい田舎武士めが弓箭ゆみやだて、我等が手並を見せてくれん、ただ一もみぞと揉立てた。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
上杉謙信がそれを見て嘲笑あざわらって、信玄、弓箭ゆみやでは意をば得ぬより権現の力をろうとや、謙信が武勇優れるに似たり、と笑ったというが、どうして信玄は飯綱どころか、禅宗でも、天台宗でも
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)