幾尋いくひろ)” の例文
春の水が春の海と出合うあたりには、参差しんしとして幾尋いくひろの干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、なまぐさ微温ぬくもりを与えつつあるかと怪しまれる。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
幾尋いくひろともなき深淵ふかきふちの上にこのたなをつりておき一条ひとすぢなはいのちをつなぎとめてそのわざをなす事、おそろしともおもはざるは此事になれたるゆゑなるべし。
わたしは海面よりもずっと下に生えているめずらしい植物を見ることができました。それらは森の中の巨木きょぼくのように、幾尋いくひろもあるくきをわたしのほうへさし上げていました。
両岸とも下へ行く程まるく抉れて、岩面は磨いたように光沢を帯びている、それへ幾尋いくひろの深さあるか知れないとろの水色が反射して凄い藍色の影が映っている。あたりは木立が深い。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
此所こゝいらがいゝだらうと船頭は船をとめて、錨を卸した。幾尋いくひろあるかねと赤シヤツが聞くと、六尋位だと云ふ。六尋位ぢや鯛は六※かしいなと、赤シヤツは糸を海へなげ込んだ。
坊っちやん (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、いかりを卸した。幾尋いくひろあるかねと赤シャツが聞くと、六尋むひろぐらいだと云う。六尋ぐらいじゃたいはむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
風にまれてうわそらなる波を起す、軽薄で騒々しいおもむきとは違う。目に見えぬ幾尋いくひろの底を、大陸から大陸まで動いている潢洋こうようたる蒼海そうかいの有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)