富人ふうじん)” の例文
まことこのみな聖人せいじんなるも、えきしてわたくのごとひくきことあたはず。すなは(一〇〇)能仕のうしづるところあらず。そう富人ふうじんあり、あめりてかきやぶる。
文化四年のうまれである。十一歳にして、森枳園きえんと共に抽斎の弟子ていしとなった。家督の時は表医者であった。令図、富穀の父子は共に貨殖に長じて、弘前藩定府じょうふ中の富人ふうじんであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
兩國といへばにぎわしきところと聞ゆれどこゝ二洲橋畔けうはんのやゝ上手かみて御藏みくら橋近く、一代のとみひろき庭廣き家々もみちこほるゝ富人ふうじんの構えと、昔のおもかげ殘る武家の邸つゞきとの片側町かたかはまち
うづみ火 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
何故なにゆえに生涯富人ふうじんではなかつたらしい壽阿彌が水戸家の用達と呼ばれてゐたかと云ふ問題は、單にかの海録に見えてゐる如く、數代前から用達を勤めてゐたと云ふのみを以て解釋し盡されてはゐない。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)