孝高よしたか)” の例文
あらかじめ矢文やぶみをもって予告のあった敵方の客将黒田官兵衛孝高よしたかが、いま輿こしにのって、山下の柵門さくもんまで来た——というらせであった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
織田信長は稲葉一鉄を茶室に殺そうとしたし、黒田孝高よしたかは城井谷鎮房しずふさを酒席で遣りつけて居る世の中であるに。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
高山右近、石田三成、小西行長、黒田孝高よしたか、細川忠興たゞおき、その夫人なども、有名なキリスト教信者である。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
天文二十年に播磨國淡河あがうの城に生れ、永祿八年に十五歳で、同國姫山の城主黒田官兵衞孝高よしたかに仕へ、永祿十一年に孝高の嫡子松壽が生れてから、若殿附にせられた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
「これにおるは、播州ばんしゅう小寺政職おでらまさもとが家老、黒田職隆もとたかが子にあたる官兵衛孝高よしたかである。——そちはまだ初めてであろう。ごあいさつせい」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉が、三木城へ、弟を入れて、ここを引き払ったのは、彼の意志でなく、もっぱら官兵衛孝高よしたか献言けんげんによるところが多かった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相対坐しているのは、官兵衛孝高よしたかである。いつか、月見をしたあの物見の松の下に腰かけて、ふたりは数語のうちに、大事を決めていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
他家の質子ちしとはなっても、父孝高よしたか剛毅ごうきと、戦国の骨太ほねぶとな育成に生い立って、すこしもいじけた子となってはいなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実に、時を約しておいたように、そこには官兵衛孝高よしたかが、まだ戸板の上に、身を支えられて坐っていたのである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉はそれを見届けて緩々かんかんと石井山の本陣へもどった。すると山門の前に、官兵衛孝高よしたかが待ちうけていて、何か、眼でものを云いながら寺内へいて行った。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだ。松寿丸しょうじゅまるとか申したな。竹中半兵衛の国許くにもと質子ちしとしてある——官兵衛孝高よしたかの小せがれがことよ」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「やがて、官兵衛孝高よしたかも見ゆるであろう。——そのいとまに、飛脚の処置、どういたしたかちとこころがかり、彦右衛門が参っておるが、念のため見て来てくれぬか」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一村にあふるる軍馬が一時に混み合っているところへ、おくれ走せに追いついて来た官兵衛孝高よしたかが、そのひきいている黒田隊をひかえさせて、自身一騎だけ秀吉の所へ来た。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへまた——どやどやと一組の賀客と小姓たちの跫音あしおとがした。播磨宍粟しそう郡山崎の城の黒田官兵衛孝高よしたかが、せがれの吉兵衛長政を携えて、今これへ着いたというのである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし父官兵衛孝高よしたかが早くも薙髪ちはつして、その封土豊前ぶぜん十六万石の家督を譲っているので、長政は若くしてすでに一城のあるじであり、京大坂にあっては、錚々そうそうたる若手の武将だった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
養子の秀勝、堀秀政、彦右衛門正勝、官兵衛孝高よしたかなどみな同座だった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孝高よしたか。いま帰りました」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)