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呼応
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こおう
ふりがな文庫
“
呼応
(
こおう
)” の例文
べつに兵庫、摂津方面からも西国の反官軍が尊氏に
呼応
(
こおう
)
し、淀、山崎の口へ攻めのぼって来るとさかんな風説だったのでもある。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
由蔵は
垢摺
(
あかす
)
りを持ったまま
呆然
(
ぼうぜん
)
と
案山子
(
かかし
)
のように突っ立っている。二人の職人風の
伴
(
つれ
)
は、それと見るより
呼応
(
こおう
)
して湯槽の傍へ駆けつけて来た。
電気風呂の怪死事件
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
彼の名声はやがてヘンデルと東西
呼応
(
こおう
)
し得るほど有名になった。バッハがドレスデンに旅行したとき、フランス人名風琴手マルシャンに競演を挑まれたのはこの頃のことである。
楽聖物語
(新字新仮名)
/
野村胡堂
、
野村あらえびす
(著)
というのは、宮方として、彼が日ごろ数えていた近郡の諸武士が、一こう
呼応
(
こおう
)
もせず、ここへ合流して来る風もないからだった。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
孤塁千早を開いて、百七十日ぶりで降りてきた菊水の旗の前には、数千の降兵と、また和泉、紀伊、
摂津
(
せっつ
)
の各地から
呼応
(
こおう
)
してきた味方とに
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
現
(
げん
)
に、刻々と兵庫、摂津方面からせまって来る四国の細川
定禅
(
じょうぜん
)
(足利一族)、山陽、山陰の武族など、みなそれの
呼応
(
こおう
)
で起ったものだった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
刻々として、彼の誘いに応じ、彼の軍に投じ、また遠くにいても、
呼応
(
こおう
)
するかのごとき表情を見せている分子も少なくはない。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これに
呼応
(
こおう
)
して、山陰方面から起った一彪の軍こそ、尼子一党の兵だった。山中鹿之介幸盛と黒田官兵衛とは、熊見川の陣所で、手をにぎり合った。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
何となれば、
御着
(
ごちゃく
)
の小寺もまた、村重と
呼応
(
こおう
)
して、現在、あきらかに
逆心
(
ぎゃくしん
)
を示しておるものを、何で、官兵衛をさし向けて、今更、村重に意見を
呈
(
てい
)
そうや
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
播磨
(
はりま
)
では、赤松円心に、二心の準備がみえ、備前の児島党、松田党などもまた、いつでも、
呼応
(
こおう
)
の姿勢にある。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すでにわれらの計は、遠く大坂につながり、北越とむすび、天下の風雲と、
懸引
(
かけひき
)
の
呼応
(
こおう
)
を持っているものです。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
近くの二本松の陣地から友軍の義貞が、この機に
呼応
(
こおう
)
して、敵の直義の側面へ突いて出てくることをである。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
尊氏が九州を離れたと知るや、菊池、阿蘇の両党が、日向の伊東
祐広
(
すけひろ
)
、
肥後八代
(
ひごやつしろ
)
ノ庄の内河彦太郎などと
呼応
(
こおう
)
して、ふたたび、気勢を揚げはじめていたのである。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あらゆる
忠諫
(
ちゅうかん
)
と、身を以て、この主家の動向を
過
(
あやま
)
らすまいと努力したのにかかわらず、その官兵衛を荒木村重に売り、村重と
呼応
(
こおう
)
して、再度、節義を変え、信長に
反
(
そむ
)
き
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一は北条氏自体がいなみなく内にもっている自解素因の表面化であり、二には、各地の宮方が、ようやく腰をあげて、
呼応
(
こおう
)
の旗を上げはじめるにちがいないとする観測だった。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天皇は関東勢に囚われ、北条氏は
御座
(
おまし
)
へ迫ってどんな勅令でも発しえよう。きのうの宮方も、逆に賊軍とよばれ、正成が心に待つ諸国の
呼応
(
こおう
)
なども、そうなっては心もとない。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いやしかし、もし矢矧川より先へは出るなとの制約さえなければ、濃尾の
地侍
(
じざむらい
)
、半島のお味方も、
呼応
(
こおう
)
して来ましたろうし、また作戦も自由に、よい勝負ができたろうにと、それだけを
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
遠征の信長の退路を断ち、朝倉家と
呼応
(
こおう
)
して、かれの全滅を計ったその時に
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ご明察の通りです。新田の大軍は、はやこれへ近づき、西の海道からも、大塔ノ宮の指令による海道の宮方武士が、新田に
呼応
(
こおう
)
して、攻めくだッてまいるよし。なにとぞ、守時に一手の防ぎを
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北条時行(亡き高時の
遺子
(
わすれがたみ
)
)は、そのご、勅免となって、伊豆にいたので、顕家の南下に
呼応
(
こおう
)
して、箱根に旗を上げ、また、新田義興(当年、まだ二歳の徳寿丸)は、新田党の郷土、
上野
(
こうずけ
)
を出て
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
佐久間
玄蕃允
(
げんばのじょう
)
は、夕刻、ここに一部隊を上げていた。翌朝の賤ヶ嶽攻撃に、
飯浦坂
(
いいうらざか
)
、清水谷などの西北方にある味方先鋒部隊と
呼応
(
こおう
)
し、敵を
孤塁
(
こるい
)
に
拠
(
よ
)
らしめて撃つ
意図
(
いと
)
であったのはいうまでもない。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
呼応
(
こおう
)
して、南の地より、筒井領へ斬り入られよ」
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹豹、城内より門を開いて
呼応
(
こおう
)
仕らん——とある。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
呼
常用漢字
小6
部首:⼝
8画
応
常用漢字
小5
部首:⼼
7画
“呼応”で始まる語句
呼応者
呼応連環