勝重かつしげ)” の例文
落合に住む稲葉屋いなばや勝重かつしげはすでに明治十七年の三月あたりからその事のあるのを知り、あの半蔵が跡目相続の宗太夫婦とも別居して
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
むしろ敵の家康まで、彼女の才徳と貞操を感じて、寺領を寄進したり、何かと生涯の面倒を見るように、所司代の板倉勝重かつしげへいいつけたほどであった。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ず残存している教会堂を毀つとともに、大久保忠隣ただちか奉行ぶぎょうとして近畿に送り、所司代しょしだい板倉勝重かつしげと協力して、切支丹の嫌疑のある者を残らず捕縛さし、それを一人一人こもに巻いて
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ことに、板倉本家は、乃祖だいそ板倉四郎左衛門勝重かつしげ以来、未嘗いまだかつて瑕瑾かきんを受けた事のない名家である。二代又左衛門重宗しげむねが、父の跡をうけて、所司代しょしだいとして令聞れいぶんがあったのは、数えるまでもない。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その他半蔵が内弟子うちでし勝重かつしげから手習い子供まで、それに荒町あらまちからのものなぞを入れると、十六、七人ばかりの人たちが彼を出迎えた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
伊予守勝重かつしげは、閣僚中でも、温良な人望家といわれていた。で、この場の人々からも、されて、膝をすすめたものとみえる。勝重のいうところは、こうだった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつて半蔵の内弟子うちでしとして少年時代を馬籠本陣に送ったことのある勝重かつしげは落合から。奥の間の机の上では日中の蝋燭ろうそくが静かにとぼった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
などと、童戯どうぎの群れまでうたっているのは、みなその板倉伊賀守勝重かつしげのことだった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下男の佐吉は今度も供をしたいと言い出したが、半蔵は佐吉も家に残して置いて、弟子でし勝重かつしげだけを連れて行くことにした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と言って勝重かつしげが半蔵のところへ飛んで来たのは、将軍家用の長持を送ってから六日もの荷造りの困難が続いたあとだった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
妻籠つまごの寿平次、実蔵(得右衛門の養子)、落合の勝重かつしげ、山口の杏庵きょうあん老、いずれも半蔵には久しぶりに合わせる顔である。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
勝重かつしげさんは復習でもしていますか。これじゃ本も読めないね。しばらくわたしも見てあげられなかった。こんな日も君、そう長くは続きますまい。」
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
奥の部屋へやの方からは、漢籍でも読むらしい勝重かつしげの声が聞こえて来ていた。ときどき子供らの笑い声も起こった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そこには落合から行った半蔵の弟子でし勝重かつしげのような若い顔さえ見いだされた。そしてその東美濃の町に延胤を迎えようとする打ちくつろいだ酒盛さかもりがあった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
半蔵には新たに一人ひとりの弟子ができて、今は住み込みでここ本陣に来ていることも香蔵をよろこばせた。隣宿落合の稲葉屋いなばや子息むすこ、林勝重かつしげというのがその少年の名だ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
おれがあのおとっさんの病気をいのりに行った時にも、勝重かつしげさんが一緒について行くと言って困った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
さらに落合の宿まで帰って来ると、そこには半蔵が弟子でし勝重かつしげの家がある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)