八百善やおぜん)” の例文
上野の八百善やおぜんへ行ったのでした。料亭も、その時始めてはいったのでした。樹が繁っていますから月はよく見えなくて、葉隠れに光がすだけです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
それはある日のことであったが、八百善やおぜんの女将が機嫌伺いに彼の屋敷を訪ずれた時、突然彼はこんなことを訊いた。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
やま宿しゅくを出ると山谷堀……越えると浅草町で江戸一番の八百善やおぜんがある。その先は重箱じゅうばこなまずのスッポン煮が名代で、その頃、赤い土鍋をコグ縄で結わえてぶら下げて行くと
その日には城から会場へく。八百善やおぜん平清ひらせい川長かわちょう青柳あおやぎ等の料理屋である。また吉原に会することもある。集会には煩瑣はんさな作法があった。これを礼儀といわんは美に過ぎよう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
と、平日いつも口重くちおもな、横浜生れではあるが、お母さんは山谷さんや八百善やおぜんの娘であるところの、ことの名手である友達は、小さな体に目立めだたない渋いつくりでつつましく、クックッと笑った。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
大学へ行く頃はもう、うまい物横町の中華とか、山谷さんや八百善やおぜんとか、新橋の花月とか、百尺、一直、湖月、亀清、柳光亭といった一流二流の割烹屋に押し上り、やがて麻布の興津庵おきつあん
そのうち、京都の万里小路までのこうじというお公卿くげのお姫さまの殺手姫さでひめさまというお方にお見知りをいただき、その後二度三度、大音寺だいおんじ前の田川屋たがわや三谷橋さんやばし八百善やおぜんなどでお目にかかっておりました。
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
それ故大正改元のころには、山谷さんや八百善やおぜん、吉原の兼子、下谷したやの伊予紋、ほしおか茶寮さりょうなどいう会席茶屋では食後に果物を出すようなことはなかったが、いつともなく古式を棄てるようになった。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
八百善やおぜん」のなくなったことである。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
築地二丁目、八百善やおぜん
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
それに、山谷さんや八百善やおぜんは妹のうちですから——
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)