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先妻
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せんさい
十
年ばかり
前にうせたる
先妻の
腹にぬひと
呼ばれて、
今の
奧樣には
繼なる
娘あり、
桂次がはじめて
見し
時は十四か三か、
唐人髷に
赤き
切れかけて
先日も申立たる
趣意なれども
先妻里惣内と不義致せしと申は
聢としたる
證據にてもありしかとあるに九助其儀は藤八へ御
尋ね願ひ
奉つると申に大岡殿
如何に藤八其方委細の事を
其方儀先名主惣内妻さとは
先妻に有之候へども一旦
離縁致し候上は
違論之なき筈の處右體の儀を根に持惣内へ
遺恨を
含み去る二月十九日下伊呂村
辨天堂前大井河原に於て右惣内さと兩人を
サア何ぢや
汝五ヶ年の間江戸へ
奉公に出し
留守中家内の者惣内が扶持を受し恩をも思はず惣内に
不義の
汚名を負せ己れが
外にて
語合し女を妻に致さんが爲罪なき伯父の娘恩ある
惣内へ惡名を付
先妻を