側用人そばようにん)” の例文
去年、酒井氏が側用人そばようにんから老中に就任して以来、幕府は一般への倹約令とともに、財政のきびしい緊縮策がとられることになった。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
水戸家の元側用人そばようにんで、一方の統率者なる小四郎は騎馬の側に惣金そうきんの馬印を立て、百人ほどの銃隊士にまもられながら中央の部隊を堅めた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
水戸老公斉昭なりあき側用人そばようにん安島あじま弥次郎に与ふる書に、「何を申も夷狄は迫り居り候へば、勢州は大切の人」と云ひ、福井侯慶永よしながも亦
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
側用人そばようにん松平源次郎と近藤外記こんどうげきの両名が来ておそるおそる万太郎に向って言う。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
する、あるじの佐藤又左衛門、もと江戸家老だった庄野重太夫、これももと側用人そばようにん鵜沢帯刀うざわたてわき、ことによると現城代の村野主殿とのもも来るかもしれない
燕(つばくろ) (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
即ち側用人そばようにん加藤清兵衛、用人兼松伴大夫はんたゆうは帰国のうえ隠居謹慎、兼松三郎は帰国の上なが蟄居ちっきょを命ぜられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いかにも内輪うちわの客あつかいである。将軍家の寵臣同士が、こう親しいのは当然であるが、一は綱吉の側用人そばようにんにして宰相にひとしい権勢のひと。一は勘定奉行という特殊な職務にあるものである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中所はこの藩の筋目の家で、祖父の三衛かずえは城代を勤め、父の兵衛は二十九歳から四十一で死ぬまで、名君といわれた先代、信濃守教員しなののかみのりかず側用人そばようにんを兼ねていた。
改訂御定法 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかし成善は念のために大参事西館孤清にしだてこせい、少参事兼大隊長加藤武彦たけひこ二人ににんを見て意見をたたいた。二人皆成善は医としてるべきものでないといった。武彦はさき側用人そばようにん兼用人清兵衛せいべえの子である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
出会いがしらに顔を見合った側用人そばようにんの片岡源五右衛門に訊ねた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正四郎の父は岩井勘解由かげゆといって、信濃守景之しなののかみかげゆき側用人そばようにんであるが、吉塚は先代から岩井家に仕えてい、正四郎が国許くにもとへ来るに当り、父が選んで付けてよこした。
その木戸を通って (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
津軽順承ゆきつぐは一の進言に接した。これをたてまつったものは用人ようにん加藤清兵衛せいべえ側用人そばようにん兼松伴大夫かねまつはんたゆう、目附兼松三郎である。幕府は甲冑を準備することを令した。然るに藩の士人のくこれを遵行じゅんこうするものは少い。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
祝儀には秋元家のお側用人そばようにんを勤めるという老人が、おそらく自慢の芸なのだろう、さびのある枯れた声で小謡こうたいを二番までうたい、めでたく式が終って酒宴になった。
主計は忙しい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
落合は二十八歳で、百五十石ばかりの中小姓こしょうを勤めていた。これらが、井関と小森は側用人そばようにん、落合は執奏として右京亮の側近をかため、殆んど独裁的に政治を動かしていた。
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)