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ぶつきよう
日本の
古墳が
造られた
時代の
終りの
頃には、もはや
朝鮮をへて
日本へ
佛教がはひり、それと
一しょにお
寺の
建築が、だん/\
出來かけてをりました。
吉野山は、
古くからずいぶん
長く、
坊さんその
外修道者といつて
佛教の
修行をする
人が
籠つてゐたことは、
明らかな
事實でした。その
經驗から、はじめの
歌が
出來たのであります。
それから
六七代の
間、かの
佛教が
日本にはひつて
來た
時分、
敏達天皇頃までは、
少し
形は
小さくなりましたけれども、やはり
御陵はみな
前方後圓の
塚でありました。
かういふ
埴輪の
人形を
作つてゐる
時に、
朝鮮から
佛教が
傳はり、お
釋迦さま、
彌勒さま、
觀音さまのような
佛樣の
像が
持ちこまれたのですから、
驚いたのはむりもないのです。