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にんとくてんのう
仁徳天皇には
皇子が五人、
皇女が一人おありになりました。その中で
伊邪本別、
水歯別、
若子宿禰のお
三方がつぎつぎに天皇のお位におのぼりになりました。
いくらか、さうしたものゝ
見えるのは、
或時仁徳天皇が、
吉備のくろ
媛といふ
人を
訪問せられたところが、
青菜を
摘んでゐたのを
見て
作られたといふお
歌であります。
始めて
河内の
南方に
御陵がつくられ、
次ぎの
仁徳天皇から
三代ばかりは、
昔は
河内の
國であつたが
今の
和泉の
國の
北方、
堺の
附近に
御陵が
設けられることになりました。
仁徳天皇はお位におのぼりになりますと、
難波の
高津の
宮を皇居にお定めになり、
葛城の
曽都彦という人の
娘の
岩野媛という方を改めて皇后にお立てになりました。
後の代から
仁徳天皇とお
呼び申すのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。