“せいきよ”の漢字の書き方と例文
語句割合
逝去100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そしてほどなき長老の逝去せいきよを予想していたので、ごく近いうちにその死体から急に奇跡が現われて、この修道院にとって偉大な名誉となるに違いないと期待していたのである。
小松殿逝去せいきよと聞きては、それもかなはず、御名殘おんなごり今更いまさらしまれて、其日は一日ばう閉籠とぢこもりて、内府が平生など思ひ出で、𢌞向三昧ゑかうざんまいに餘念なく、夜に入りては讀經の聲いとしめやかなりし。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
こゝに寶永三年四月紀伊きい大納言光貞卿御大病ごたいびやうの處醫療いれうかなはず六十三歳にて逝去せいきよまし/\ける此時松平主税頭ちからのかみ信房卿は御同家青山あをやま百人町なる松平左京太夫さきやうのたいふ養子やうしとなり青山の屋敷やしきおはせりさてまた大納言光貞卿の惣領そうりやう綱教卿つなのりきやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
幼年より病身びやうしんと雖も御惣領ごそうりやうなればおし家督かとくに立給しが綱教卿も同年九月九日御年廿六さいにて逝去せいきよなり然るに次男じなん頼職卿よりなりきやう早世さうせいなるにより紀伊家はほとん世繼よつぎたえたるが如し三なん信房卿同家へ養子やうしならせられてなけれ共外に御血筋ちすぢなき故まづ左京太夫頼純よりすみの四男宗通むなみちの次男を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)