頼義よりよし)” の例文
後冷泉天皇の御宇ぎょうにあって、奥州の酋長阿部あべ頼時よりときが、貞任さだとう宗任むねとうの二子と共に、朝廷に背いて不逞を逞ましゅうした、それを征したのが源頼義よりよし
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大きくなって、義家よしいえはおとうさんの頼義よりよしについて、奥州おうしゅう安倍貞任あべのさだとう宗任むねとうという兄弟きょうだいあらえびすを征伐せいばつに行きました。
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
その後源氏第二代の源満仲みなもとのみつなかなどが藤原氏の股肱爪牙さうがとなることに依つて、漸くその勢力を扶植し、源頼義よりよし義家よしいへは前九年、後三年の両役に、陸奥守、鎮守府将軍として武勲を輝かすと共に
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
そこで頼義よりよし義家よしいえ二人ふたりは九ねんくるしいいくさのちりのてきれて、めでたく京都きょうと凱旋がいせんいたしました。
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
頼義よりよし、義家が埋めたという金は、その後の歌にうたわれている境地に、今は埋めてあるのだろう。それにしても源女殿はどこでどうしてその後の歌を覚えたかとな。で源女殿へ訊いて見た。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
八幡太郎はちまんたろう源頼義みなもとのよりよしという大将たいしょう長男ちょうなんで、おとうさんの頼義よりよしが、あるばん八幡大神はちまんだいじんからりっぱな宝剣ほうけんいただいたというゆめると、もなく八幡太郎はちまんたろうまれました。
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
頼義よりよし、その子義家よしいえ、奥州攻めの帰るさにおいて、秩父地方に埋めました黄金、それにまつわる歌とのこと、しかるにこの歌の末段にあたり〽今は変わって千の馬、五百の馬の馬飼の——云々という
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)