ぞう)” の例文
旧字:
がらがらとゴム輪のつぶれかけた手押車が出てきて、何と、その上に積んであるものは、鍋やしゃもじやはたきやぞうきんではないか。
雑居家族 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
去来の「秋」の次に凡兆の「ぞう」が現われるのと、凡兆の「秋」のあとに去来の「雑」が来るのとではやはりかなりちがった効果的特徴を示すであろう。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
東海道を行く人は山北にて鮎の鮓売るを知りたらん、これらこそ夏の季に属すべき者なれ。今の普通の握り鮓ちらし鮓などはまことはぞうなるべし。(七月二日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
拾遺集しゅういしゅう巻八ぞう上の部伊勢の歌に、「権中納言敦忠が西坂本の山庄の滝の岩にかきつけ侍りける」として
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その中の一人なりまた中立の他の一人なりが試験的の監督となりリーダーとなってその人が単に各句の季題やぞう塩梅あんばいを指定するのみならず、次の秋なら秋
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
古今集巻十八ぞう所載「き世にはかどさせりとも見えなくになどか我が身の出でがてにする」と云う歌は、「つかさの解けてはべりける時よめる」と云う詞書ことばがきの通り
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一、ぞうの句は四季の聯想なきを以て、その意味浅薄にして吟誦ぎんしょうへざる者多し。ただ勇壮高大なる者に至りては必ずしも四季の変化を待たず。故に間々ままこの種の雑の句を見る。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
第一は季題に関するもので、たとえば「秋」あるいは「ぞう」でなければならないとすれば、前記の逍遙中に出会ったものはこれによって第一段の整理を受ける。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
これに反して四季の歌少く、ぞうの歌のいちじるしく多きを『万葉集』及び『曙覧集』とす。この二集の他に秀でたる所以ゆえんなり。けだし四季の歌は多く題詠にして雑の歌は多く実際よりづ。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
連句の変化を豊富にし、抑揚を自在にし、序破急の構成を可能ならしむるために神祇じんぎ釈教恋無常が適当に配布される。そうして「ぞうの句」が季題の句と同等もしくは以上に活躍する。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
 は筑摩祭の唯一の句として伝へられたる者、一誦いっしょうするの価値ありといへども、その趣味は毫も時候の感と関係せず。むしろぞうの句を読むの感あり。しかれどもこれ吾人が筑摩祭を知らざるの罪のみ。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
あるいは連句中のぞうの句などに非ずや。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
四季の題目なきものをぞうと言ふ。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)