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鎧袖
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がいしゅう
ふりがな文庫
“
鎧袖
(
がいしゅう
)” の例文
と、
手具脛
(
てぐすね
)
ひいて待つ所へ、魏軍三万の
張郃
(
ちょうこう
)
、
戴陵
(
たいりょう
)
はほとんど
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
の勢いでこれへ当ってきた。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
木の根や草の芽は
鎧袖
(
がいしゅう
)
一触であった。堅い岸べもぽこりと削りとられた。すると、辛酸した植物どもの営みは、まっさかさまであった。水は
顛落
(
てんらく
)
するものを何でも
呑
(
の
)
みこんだ。
石狩川
(新字新仮名)
/
本庄陸男
(著)
拙者
(
せっしゃ
)
には武力はありますが名はありませぬ。それゆえ、
今日
(
こんにち
)
まで
髀肉
(
ひにく
)
の
歎
(
たん
)
をもっておりましたが、若君のみ
旗
(
はた
)
さえおかしくださるならば、
織田
(
おだ
)
や
徳川
(
とくがわ
)
は
鎧袖
(
がいしゅう
)
の一
触
(
しょく
)
です。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
怒潮四千の軍馬に揉み込まれては、文字どおり
鎧袖
(
がいしゅう
)
の
一触
(
いっしょく
)
で、敢然、孤槍を
揮
(
ふる
)
って立ち向う兵は、忽ち、
泥地
(
でいち
)
の
血漿
(
けっしょう
)
と化し、多くは四散して、次の防塁に
拠
(
よ
)
ろうとした。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、ここにこれだけの軍勢はあり、何の
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
と、一気に蹴ちらして押し通るのも武門の快。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
この
裏道
(
うらみち
)
をくるのにも、とちゅう、一、二ヵ
所
(
しょ
)
の
山関
(
やまぜき
)
があったが、
小人数
(
こにんずう
)
の
関守
(
せきも
)
りや、
徳川家
(
とくがわけ
)
の名もない小役人などは、この一
行
(
こう
)
のまえには、
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
の
価
(
あたい
)
すらもない。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
何百という雑兵が波を打ってその前をさえぎっても、
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
にも値しないのである。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
人情の
余韻
(
よいん
)
を残すというものだ。すでに赤壁においてすらあの
大捷
(
たいしょう
)
を博した我軍のまえに、南郡の城のごときは
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
、あんなものを取るのは手を
反
(
かえ
)
すよりやさしいことじゃないか
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もはや
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
に値するほどな敵にも会わず、秀吉を囲む騎馬一団の幕僚と、前後、
夥
(
おびただ
)
しい軍列は、差物、馬印を陽に
焦
(
や
)
きながら、
蜿蜒
(
えんえん
)
、北進をつづけて——茂山から
父室
(
ふむろ
)
村を経、国安
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
桑名へ迫るに先だって、鈴鹿郡川崎村の峰ノ城へ、一部兵力を抑えに残し、神戸、白子などの民屋を焼き立てて、途々
小邀撃
(
しょうようげき
)
してくる敵を
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
の勢いで圧しながら、やがて矢田に陣した。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「何の、たかだか千か、千五百。味方は三万にちかい。
鎧袖
(
がいしゅう
)
の
一触
(
いっしょく
)
だ」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もとよりその程度のものでは、
鎧袖
(
がいしゅう
)
一
触
(
しょく
)
の
値
(
あたい
)
すらない。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
鎧袖
(
がいしゅう
)
の一
触
(
しょく
)
、蹴ちらして押し通るに何の造作があろう
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“鎧袖”の意味
《名詞》
鎧の袖。
(出典:Wiktionary)
鎧
漢検準1級
部首:⾦
18画
袖
常用漢字
中学
部首:⾐
10画
“鎧袖”で始まる語句
鎧袖一触
鎧袖一触的