足弱あしよわ)” の例文
源「これは二両二分、イヤサ御主人、二両二分で越後まで足弱あしよわを連れてかれると思いなさるか、御親切ついでにもそっとお恵みが願いたい」
きゝ夫婦の者すれば今より江戸まではとてゆかれまじせめこうとやら迄も行れべきやと云に亭主は兩人の樣子を見て失禮ぶしつけながら足弱あしよわの御女中を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この時代に足弱あしよわと供の者とを連れて奥州から四国路までも旅行をするというのは、よっぽど裕福の身分でなければならないことは判り切っていた。
半七捕物帳:33 旅絵師 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
終に「やかましい/\/\えゝやかましいや、なに、今聞いたら足弱あしよわを連れた、足弱を連れたなあ盗つ人の附目つけめだ、何万両はいらねえ、たつた廿両だ、早く金を出せ」
いよいよ山にかゝると、仲間は足弱あしよわの曼舟氏に構つてはゐなかつた。彼等は山へ写生に来たのである。もつと真実ほんとうの事をいふと、文展向きの絵になる景色を捜しに来たのである。
マサカに足弱あしよわを連れて交通の不便なこの際に野越え山越え行方をくらましたとは思われない。ドコかに拘留されてるに違いないが、ドコの警察にもいないとすれば陸軍より外にはない。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
十一月のしもの朝、義経は、赤地錦あかじにしき直垂ひたたれに、萠黄縅もえぎおどしよろいをつけ、きょう西国へ下るとその邸を出て、妻の静、その老母、その他、足弱あしよわな者たちを、先へ立たせ、わずかの精兵を従えて、御所の門前に
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
背後うしろ足弱あしよわが段々呼吸いきづかいが荒くなってね、とうとう
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
足弱あしよわの渡りて濁る春の水 蕪村
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
きり石に足弱あしよわ惱み
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
今もむかしも川崎の大師は二十一日が縁日で、殊に正五九しょうごく三月みつきは参詣人が多い。江戸から少しく路程みちのりは離れているが、足弱あしよわ高輪たかなわあたりから駕籠かごに乗ってゆく。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
其の翌日が熊ヶ谷泊りで、それから鴻の巣、桶川と中仙道を下りましたが、足弱あしよわの連で道も捗取はかどりませんので、天神橋へ掛りますと日はトップリ暮れ、足は疲れましたから御新造は歩けませんから
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
きり石に足弱あしよわ悩み
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
まあ、普通は初めの朝に品川をたって、その晩は程ヶ谷か戸塚にとまって、次の日が小田原泊りというのですが、女や年寄りの足弱あしよわ連れだと小田原まで三日がかり。
半七捕物帳:14 山祝いの夜 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
足弱あしよわを連れて漸くのことで山口へ参りました。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
足弱あしよわを連れた塩冶の家来どもは目ざす所まで落ち延び得ないで、ここで都の討っ手に追い付かれて、とても叶わぬところとは知りながらも、必死に防ぎ闘っているのではあるまいか。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
足弱あしよわな女子供はとても立ってはいられなくなった。
半七捕物帳:32 海坊主 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
足弱あしよわ連れだ。途中で追っ付くだろう」
半七捕物帳:22 筆屋の娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)