紫裾濃むらさきすそご)” の例文
その日の装立いでたちは、かちんに白と黄の糸で千鳥が岩に群れ遊んでいる直垂、紫裾濃むらさきすそごの鎧、鍬形くわがた打った兜の緒をしめ、黄金作こがねづくりの太刀、切斑きりふの矢二十四本を背に、重籐の弓を持ち
いま国宝の一つに数えられている紫裾濃むらさきすそご甲冑かっちゅうは、これも在来は日本武尊の御鎧おんよろいと伝えられたもので、実は後宇多天皇の弘安四年に蒙古退治の御祈願に添えて奉納されたものだそうです。
浮世を忍ぶ旅路たびぢなればにや、一人は深編笠ふかあみがさおもてを隱して、顏容かほかたちるに由なけれども、其の裝束は世の常ならず、古錦襴こきんらん下衣したぎに、紅梅萌黄こうばいもえぎ浮文うきあや張裏はりうらしたる狩衣かりぎぬを着け、紫裾濃むらさきすそごの袴腰
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
寄せ手の軍勢は固唾かたずを呑み、憐れ憐れと見ている時、城の大手の門を開けて駈け出したる武者一騎、鍬形くわがた打ったかぶとをつけ、紫裾濃むらさきすそごよろいを着て、大身おおみの槍を打ち振り打ち振り、大軍の中に駈け入ったが
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
装立いでたちは彼の好みのもので、紫裾濃むらさきすそごの直垂に、鍬形打った兜の緒をしめ、重籐の弓小脇にはさみ、背に二十四本の切斑きりふの矢を負い、金覆輪の鞍おいた連銭葦毛の馬にのっていた。
紫裾濃むらさきすそごの鎧を着こみ、鍬形くわがた打った兜のをしめ、腰に黄金こがね作りの太刀、背に切斑きりふの矢二十四本を負い、かいこむ重籐の弓は鳥打の下を広さ一寸ばかりに切った紙で左巻きに巻いてある。
赤地錦の直垂ひたたれ紫裾濃むらさきすそごよろいを着け、鍬形くわがた打ったかぶとをしめ、黄金こがね作りの太刀たちいた、天晴れ大将軍の姿で、重籐しげとうの弓の真中あたりを握りしめ、沖の平家に向って、大音声で名乗りをあげた。