社家しやけ)” の例文
社家しやけとも寺とも、れうともつかぬ門構へ、百壽園と船板の看板、洒落しやれたやうな、氣障なやうな、異樣な構への家に、八五郎は案内したのです。
本多家ではまたちがつた伝説を持つてゐる。本多家の祖先なにがしはもと加茂の社家しやけであつたが、豊後の本多荘ほんだのしやうに流されたので、本多を名乗るやうになつた。
たづぬるにもと大和國やまとのくに南都なんと春日かすが社家しやけ大森隼人おほもりはいとの次男にて右膳うぜん云者いふものありしが是を家督かとくにせんとおもひ父の隼人は右膳に行儀ぎやうぎ作法さはふ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
神主かんぬし宮氏の家に貞和ぢやうわ文明ぶんめいの頃の記録きろく今にそんせり。当主たうしゆ文雅ぶんがこのみ吟詠ぎんえいにもとめり、雅名がめい正樹まさきといふ。同好どうこうを以てまじはりおさむ。幣下へいしたとなふ社家しやけ諸方しよはうにあまたある大社也。