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甲比丹
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カピタン
ふりがな文庫
“
甲比丹
(
カピタン
)” の例文
お
上
(
かみ
)
に申しあげたところ、いたくお腹立ちになり、このたび参府の
甲比丹
(
カピタン
)
には逢うまいと仰せられたげなに、洩れ聞いている。
ひどい煙
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
しかるにそれよりも二十何年の後、西暦一七七七年に来朝した
和蘭
(
オランダ
)
甲比丹
(
カピタン
)
ツンベルグは、その江戸往来の旅行において次のような見聞をしている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
今度
甲比丹
(
カピタン
)
ブルックの話を
聞
(
きい
)
て千歳一遇の好機会と思い、晴れの軍服を光らして日本の軍艦咸臨丸を歓迎したのであると、甲比丹が話して居ました。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
備前宰相
(
びぜんさいしょう
)
の
伽羅
(
きゃら
)
を切ったのも、
甲比丹
(
カピタン
)
「ぺれいら」の時計を奪ったのも、
一夜
(
いちや
)
に五つの土蔵を破ったのも、八人の
参河侍
(
みかわざむらい
)
を斬り倒したのも、——そのほか末代にも伝わるような
報恩記
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
かくあるも道理なれ、
甲比丹
(
カピタン
)
クックは、太平洋を航して、幾多の群島を発見せり。
仏蘭西
(
フランス
)
は
安南
(
アンナン
)
に向い、その交渉の
端
(
たん
)
を
啓
(
ひら
)
けり。露人は既に南下の勢に乗じて、樺太の
半
(
なかば
)
を占略せり。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
▼ もっと見る
布哇寄港祝砲と共に
目出度
(
めでたく
)
桑港
(
サンフランシスコ
)
を出帆して、今度は
布哇
(
ハワイ
)
寄港と
定
(
き
)
まり、水夫は二、三人
亜米利加
(
アメリカ
)
から連れて来たけれども、
甲比丹
(
カピタン
)
ブルックは
居
(
お
)
らず、本当の日本人ばかりで
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
犬を
曳
(
ひ
)
いた
甲比丹
(
カピタン
)
や、日傘をさしかけた黒ん坊の子供と、忘却の眠に沈んでいても、新たに水平へ現れた、我々の
黒船
(
くろふね
)
の
石火矢
(
いしびや
)
の音は、必ず古めかしい君等の夢を破る時があるに違いない。
神神の微笑
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
阿媽港日記
(
あまかわにっき
)
と云う本を書いた、
大村
(
おおむら
)
あたりの
通辞
(
つうじ
)
の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか
三条河原
(
さんじょうがわら
)
の喧嘩に、
甲比丹
(
カピタン
)
「まるどなど」を救った
虚無僧
(
こむそう
)
、
堺
(
さかい
)
の
妙国寺
(
みょうこくじ
)
門前に
報恩記
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
“甲比丹(カピタン)”の解説
カピタン(甲比丹、甲必丹、加比旦)は、江戸時代にオランダ東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者「商館長」のこと。ポルトガル語のは、英語のに相当する、即ち「船長・隊長」の意である大航海時代には船団を率いたカピタンが商館(砦)を開設してそのまま長となることもあった。。南蛮貿易時代最初の交易国がポルトガルだったため西洋の商館長をと呼んでいたが、オランダが取って代わってからもオランダ語の商館長を意味するにはならなかった。
(出典:Wikipedia)
甲
常用漢字
中学
部首:⽥
5画
比
常用漢字
小5
部首:⽐
4画
丹
常用漢字
中学
部首:⼂
4画
“甲”で始まる語句
甲斐
甲
甲板
甲冑
甲高
甲羅
甲虫
甲走
甲斐性
甲斐甲斐