曠世こうせい)” の例文
けだし改革先達の諸氏もとより曠世こうせいの人物なりといえども、その活眼卓識に至りては、多く横井小楠しょうなん翁の右に出ずるものを見ず。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
では忌憚きたんなく申しあげる。——四海大いに乱るるの時、家祖、東呉を興したまい、いまや孫家の隆昌は、曠世こうせいの偉観といっても過言ではありません。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さればこそ労働者の勢力を占めて居る国でありながら、ルーズヴェルトの如きまたウィルソンの如き曠世こうせいの英雄が国家最高の地位に挙げらるるのである。
かかる曠世こうせい尤物ゆうぶつを無窮に残し拝ますはアの筆のほかにその術なしとあって、その装束を脱いだ体を画かしめた。
わたしの眼底には既に動しがたき定見がある。定見とは伝習の道徳観と並に審美観とである。これを破却するは曠世こうせいの天才にして初めて為し得るのである。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ここに少憩して付近のしょうを探ぐり、はるかに左方春日山かすがやま城跡じょうせきおいで、曠世こうせいの英傑上杉輝虎てるとらの雄図をしのび、夕陽せきよう斜めに北海の怒濤どとうてらすの夕闇に、うしおりの物凄き響きをききつつ
いうまでもなく、この曠世こうせいの東西両大軍の乾坤一擲けんこんいってきに自由なる平原は、木曾川を境する尾濃大平原のほかにはない。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
叡山焼討ちという曠世こうせいの大猛断をやったことが、その是々非々、ふたつに分れて、暴風のような批判を天下にまき起した結果であることはいうまでもない。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この曠世こうせい文業ぶんぎょうに、光圀を扶翼ふよくして、蒐書しゅうしょや研究や編修の実務にあたった人々としては、人見又左、吉弘元常よしひろもとつねなどをはじめとして、板垣矩いたがきのり中村帆なかむらはん岡部仙おかべせん松田効まつだこう小宅順こやけじゅん田中犀東たなかさいとうなど以下
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この曠世こうせいな大演武には、信長の一族、岐阜ぎふ中将信忠のぶただ北畠きたばたけ中将信雄のぶお、織田三七信孝のぶたか、柴田、前田、明智、細川、丹羽にわそのほかの諸侯から将士約一万六千余と、会衆十三万余人という盛況の下に行われ
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ともに大事をなし、他日の曠世こうせいを楽しもうではありませんか」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだとも。曠世こうせいの御名誉にもなることだ」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)