柳町の者どもは京都所司代にしばしば願書をささげて、隠し売女の取締りを訴えたが、名奉行の板倉伊賀守もこの問題に対しては余り多くの注意を払わなかったらしく
寺からその旨を所司代奥平信昌に届け出たところ、やがて家康から助命の沙汰が下った。
“所司代”の解説
所司代(しょしだい)とは、室町幕府の役職で、侍所を統率する所司(または頭人(とうにん))の代官で、後には転じて京都の治安を管轄する地位となった。
その最初は、1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)に侍所頭人佐々木秀綱の家臣の若宮氏がその地位にあったことが知られている。開闔・寄人が幕府直臣の奉行衆から任じられて行政事務を担当したのに対して、所司代は頭人の重臣から任じられて将軍警固・京都市中での検断権行使・盗賊追捕などの武力行使の場面で活動した。
(出典:Wikipedia)
その最初は、1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)に侍所頭人佐々木秀綱の家臣の若宮氏がその地位にあったことが知られている。開闔・寄人が幕府直臣の奉行衆から任じられて行政事務を担当したのに対して、所司代は頭人の重臣から任じられて将軍警固・京都市中での検断権行使・盗賊追捕などの武力行使の場面で活動した。
(出典:Wikipedia)
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