成道じょうどう)” の例文
菩提樹下ぼだいじゅか成道じょうどう、というのはまさしくそれです。げに、わが釈尊をして、真に仏陀たらしめたものは、全くこの因縁の真理なのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
『仏本行集経』三三に、仏、成道じょうどうして最初に説法すべき人を念じ、優陀摩子うだまししかるべしとおもうに、一天神来りて彼は七日前に死んだと告ぐ。
「狭い俳句の門」という感じを起さしめるのは人を成道じょうどうせしめる所以ゆえんではない。「広い俳句の門」と感ぜしめることが即ち仏の道に入らしめる所以であろう。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
世尊せそんさえ成道じょうどうされる時には、牧牛ぼくぎゅう女難陀婆羅むすめなんだばらの、乳糜にゅうび供養くようを受けられたではないか? もしあの時空腹のまま、畢波羅樹下ひっぱらじゅかに坐っていられたら、第六天の魔王波旬はじゅん
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
が、伝説の考証はさらに釈迦の成道じょうどう以前の物語が最古の層でないことを示してくる。釈迦の伝記が成道に始まり、説法開始、弟子の教化、入滅などを物語っていた時代もあるのである。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
七歳の初発心しょほっしん二十四の暁に成道じょうどうして師匠もこれまでなりと許すに珠運はたちまち思い立ち独身者ひとりものの気楽さ親譲りの家財を売ってのけ、いざや奈良鎌倉日光に昔の工匠たくみが跡わんと少しばかりの道具を肩にし
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
この思想の方嚮ほうこうを一口に言えば、懐疑が修行で、虚無が成道じょうどうである。この方嚮から見ると、少しでも積極的な事を言うものは、時代後れの馬鹿ものか、そうでなければ嘘衝うそつきでなくてはならない。
沈黙の塔 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その時弥勒仏生まれて成道じょうどうし、くだんの聖王そのせがれ九百九十九人と弟子となって出家し一子のみ出家せずに王位をぐ。弥勒世尊、翅頭末しとうまつ城外じょうがい金剛荘厳道場こんごうしょうごんどうじょう竜華菩提樹下りゅうげぼだいじゅげで成道する。
この塔今もあり癩病等の重患者貴賤を問わず百余人常に参籠さんろうす、身を虎に施した太子はわが先身、師の仙人はわが次に成道じょうどうすべき弥勒菩薩だ、われ衆生を救うため身を惜しまなんだから
王ついに鼠の声にまされ、さては鼠の助けで蛇害を免れたと知り、山下の村の年貢でかの鼠を養わしめ、その村を迦蘭陀すなわち鼠村と付けたとある。また仏成道じょうどうしていまだ久しからず。
何を以て能わざる〉と言ったので、海神その精進強力所作に感じ、珠を還し、その根性強さでは、汝必ず後身成道じょうどうすべき間、その時必ず我を弟子にしてくれと頼んだ、大施太子は今の釈迦で