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成島柳北
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なるしまりゅうほく
ふりがな文庫
“
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)” の例文
話が前後したが、
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
の『
柳橋新誌
(
りゅうきょうしんし
)
』の第二篇は、明治七年に出た。これは
柳暗
(
りゅうあん
)
のことを書いたものである。その他に『
東京新繁昌記
(
とうきょうしんはんじょうき
)
』
明治十年前後
(新字新仮名)
/
淡島寒月
(著)
夜目にも薄白く
沢村田之助
(
きのくにや
)
そっくりの美しい顔立ちを嬉しく浮き上がらせている女は、
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
が「柳橋新誌」に
艶名
(
えんめい
)
を謳われた柳橋のお
絲
(
いと
)
。
円朝花火
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
が仮名
交
(
まじ
)
りの文体をそのままに模倣したり
剽窃
(
ひょうせつ
)
したりした
間々
(
あいだあいだ
)
に漢詩の
七言
(
しちごん
)
絶句を
挿
(
さしはさ
)
み、自叙体の主人公をば
遊子
(
ゆうし
)
とか小史とか名付けて
夏の町
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
人と成って後
確堂公
(
かくどうこう
)
と呼ばれたのはこの人で、
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
の碑の
篆額
(
てんがく
)
はその
筆
(
ふで
)
である。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
是
(
こ
)
れは時の陸軍の将官を勤め、
極
(
ごく
)
の西洋家で、
或日
(
あるひ
)
その人の家に集会を
催
(
もよお
)
し、客は
小出播磨守
(
こいではりまのかみ
)
、
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
を始め、その
外
(
ほか
)
皆むかしの大家と唱うる蘭学医者、私とも合して七、八名でした。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
▼ もっと見る
新聞界の大元老である「朝野新聞」の
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
を中心とする革新的ジャーナリズムが次第に大隈の政治的意見に接近してくる頃には、小野の周囲には八方から有能な青年があつまってきた。
早稲田大学
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
侮
(
あなど
)
り切っていきなり玄関から応接を頼むと、東京では
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
時代に現われた
柳橋
(
やなぎばし
)
の
年増芸者
(
としまげいしゃ
)
のようなのが出て来て、「御紹介のないお客さまは」と、
極
(
きわ
)
めてしとやかに御辞退を申し上げる。
大菩薩峠:03 壬生と島原の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
これはそう細いという方でもないが、
何処
(
どこ
)
か
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
の感化を思わせる心の持方で、
放肆
(
ほしいまま
)
な
男女
(
おとこおんな
)
の
臭気
(
におい
)
を
嗅
(
か
)
ぐような気のすることまで、包まず
掩
(
おお
)
わずに記しつけてある。思いあたる
事実
(
こと
)
もある。
家:01 (上)
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
建碑について尽力した人の
重
(
おも
)
なるものは、その時には既に世を去っていた
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
と今日なお健在の富商大倉某らであった事が碑文に言われている。
向嶋
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
頭も
尻尾
(
しっぽ
)
もないような物だった。その頃は新聞に雑録というものがあった。
朝野
(
ちょうや
)
新聞は
成島柳北
(
なるしまりゅうほく
)
先生の雑録で売れたものだ。真面目な考証に
洒落
(
しゃれ
)
が交る。論の奇抜を心掛ける。句の警束を
覗
(
ねら
)
う。
ヰタ・セクスアリス
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
成
常用漢字
小4
部首:⼽
6画
島
常用漢字
小3
部首:⼭
10画
柳
常用漢字
中学
部首:⽊
9画
北
常用漢字
小2
部首:⼔
5画
“成島”で始まる語句
成島
成島東岳
成島司直
成島確堂